この身体は誰のもの?

「いつまでも、いつまでも子供扱いしないでよ!」

言ってしまった。

ついに私は、ママに反抗してしまった。

こんなにも私のことを愛してくれるママに、こんなにも私の生を望んでくれるママに、私はついに反抗してしまったのだ。

溢れる絶望と焦燥。

久しぶりの再会だったのに、結局私はVR通話を切ってベッドに潜り込んだ。

一人暮らしで家には誰もいないから、大声で泣いた。

私だって、ママが嫌いなわけではない。

でも私はママの物じゃない。

なんでこんなに好きなのに、なんでこんなに愛されてるってわかるのに、すれ違ってしまうのだろう。

二十三歳、初めての反抗に、言い知れぬ罪悪感を感じていた。

大きな声で泣いて、その声も小さくなって、涙は止まって寂しさが溢れてくる。

それでもママに謝る気にはなれない。

思い浮かんだのは、お母さんの顔だった。

「私は、どうすればいいんですか?」

勢いに任せてお母さんに送ったメッセージにイアが反応する。

「ミアさん、落ち込んでいるのですか?」

「うん、でもなんとかする」

「そんなときには好きなものを食べて乗り切りましょう! 駅の近くに美味しいオムライスを出すお店ができましたよ」

「ありがと、でもやっぱり今はそういう気分にはなれない。ごめんね」

「それなら、専門家に相談してみるのはいかがでしょう。重大な問題は一人で抱えてはいけませんよ」

「うーん、今回はやめとくね、ありがと」

「いつでも相談に乗りますよ」

人工的なカタコトの声にさえなんとなく気を使ってしまうのは、きっと私の悪い癖なのだ。

そんなことを考えていると、少しだけ心が落ち着いた気がした。

 

私は、とある地方都市の役人をしている。

去年大学を卒業し、市役所に就職し、配属されたのは人口減少課。

人口減少によって立ち行かなくなった村の、役場の権限を市に委譲する手続きをすることが主な仕事だ。

近年、人口減少はますます深刻な問題になっている。

過密を前提とした都市の作りは崩壊しかけている。

一方、過疎が進んだ村は、都市より先に崩壊の一途を辿った。

十年前、その流れに待ったをかけたのが、今私のいる市であり、私の直属の上司の清水先輩だ。

近隣の村に権限委譲の話を持ちかけたのだ。

市の隣りにあるその村ではすでに村役場の機能を保てるほどの職員を雇用できていなかった。

私たちの市で彼らを雇用し、役場の機能を市の機能に組み込んで一括管理すれば、村の機能が維持できる。

それを一人でまとめ上げたのが清水先輩である。

立ち行かなくなった村の現状を目にした先輩は、当時二十九歳で辞表を胸ポケットに入れて市長に陳情し、市議会に出席して自ら村の苦しい現実を訴え、村の権限委譲を提案した。

村長の方は、今の状況を変えられるならと先輩に大賛成だったそうだが、世間では大論争が巻き起こった。

その頃のことは詳しく知らないが、負債をすべて市が背負うことや、その負債を返す当てがないことなどに市民の反対は大きく、また、村の形が変えられてしまうという思いから村民の反対も根強かったという。

五年ほど経った頃、先輩の施策は人口減少にあえぐ日本に無くてはならない施策だったと賞賛された。

他の村からも権限委譲の話は舞い込み、他の市でも似たような制度を始めていた。

十年経った今、問題が起きている。

村では過疎がますます進み、両手で数えられるほどの人数のためにインフラを整える予算が無駄だと市議会で糾弾されたのだ。

「十年ってやっぱり長い年月よね」

清水先輩がペンを回しながらつぶやく。

「十年前は三桁いた村民が十年で一桁になっちゃうなんて思ってなかったのよ」

「……はあ」

嫌々ながら愚痴に付き合う。

私にとって直属の上司が一人なら、先輩にとって直属の部下は私一人なのだ。

今まで愚痴を聞くのが先輩のAIだけで、人間は一人だけですべての仕事をこなしてきたのだから、尊敬できる素晴らしい先輩なのだが、愚痴が長いのはやっぱり部下としては考えものだ。

むしろ今まで先輩のAIがどれだけの愚痴を聞いてきたのか少し興味があるほどである。

「一人亡くなって、二人出ていき、一人ホームに入って、一人入院して、ってどんどん重なってって、気づいたら九人」

ため息とともに机に突っ伏す先輩。

「どうするんです?」

「そんなのもうわかってるじゃないのよ。移住してもらうしかないじゃない」

移住。

それでは完全に村の形が変わってしまう。

「それじゃあ、権限委譲の説明でいつもおっしゃってる『村の形を変えないまま管理運営の場所を変えるだけ』っていう話はどうなるんです?」

「だって、こうなっちゃ仕方ないじゃない。移住以外のどんな案があるっていうのよ」

村民の反対は免れない選択だ。

ちなみに、現在、村の機能は完全に市と一体化しており、村役場の職員はいない。

村の運営は市が受け持っているが、村の行く末は、私たち人口減少課と住民の議論によって決まる。

ほぼ、人口減少課の私達二人、というかトップの清水先輩の独壇場なのだ。

「ま、最初からいつかはこうなることがわかってたのよ。そうなるときまでには私が担当者じゃなくなってると思ったのにねえ」

なんて無責任な。

「人口が減り続けてるのに同じ面積に同じインフラを整え続けるのなんて無理に決まってるの。それが今更分かったみたいな顔して怒ってるお偉いさんもどうなのって感じよ」

「まあ、点数集めのためには格好の餌だったってことじゃないですか?」

確かに批判されて当然の、穴だらけのずさんなシナリオだった。

でもそんなシナリオでもなければこの日本を救うことはできないと、私は思う。

「新しい市長さんも怒っちゃって、早急に解決しないと予算出さないぞ、だってさ」

「大変じゃないですか」

「ま、そんなわけで、とりあえず移住の線で行きましょ」

「市内のどこに移住してもらうかは決まってたりするんですか?」

「そんなの、うちの市には空き家がわんさかあるもの。誰かが住むならみんな大喜びだわ」

「じゃあ、そのリストを持って早速交渉に行きましょう」

「いや、リストはこれから作るのよ?」

なんとなく先輩の危機感が足りないように感じる。

「それなら急いで作りますので、先輩は村民の皆さんに事情を説明してください。事務仕事は私が」

「逆よ逆。リストを作るのは私」

「へ?」

「ミアちゃんが事情説明に行って、交渉まで済ましてきちゃいなさい」

「それは先輩の役目じゃないんですか?」

「役目も何もないわよ。私たち二人で人口減少課で、それ以上でもそれ以下でもないでしょ?」

「まあ、たしかにそうですけど……」

「それに、ミアちゃんにも前線に出てやってみる機会が必要だと思ってたのよー」

「はあ……」

先輩、自分がやりたくないだけなのでは……?

「いつまでも子供みたいに、答えが簡単に出る仕事ばっかりしてちゃだめなのよ?」

うっ。

『いつまでも子供みたいに』という言葉で胸が痛くなる。

自分では一人前のつもりになっていても、先輩から見たらまだ『子供』に見えているのかもしれない。

「……わかりました」

随分苦々しい顔で了承していたのだろう。

先輩が聞く。

「あれ、もしかしてなんかあった?」

「いえ、別に」

「わかるわよ~。その顔は、喧嘩したんだ。親と。そうじゃない?」

図星だった。

「なんでわかるんですか?」

「あ、合ってたんだ。珍しいねえ喧嘩なんて」

「当てずっぽうだったんですか」

「だって『子供みたいに』で明らかに動揺してたから、そのへんだろうなーと思って。どう?」

「その通りです……」

「ま、少し喧嘩するくらい自然なことだと思うけど、ちゃんと仲直りしないとダメよ?」

「はい……」

「だって、あなたもわたしも、親に愛されてるってことは人一倍わかってるじゃない」

「そうですよね……」

だんだん思い出してつらくなってきた。

「そんな悲しい顔しないで、ほら、行っといで? ミアちゃんが移住したい物件の希望を住民に伺ったら、教えてくれればオンラインで適切な物件をいくつか見せてあげるから」

「わかりました。行ってまいります」

「ミアちゃん、顔が戦場に行く兵士の顔よ」

当たり前だ。

傷ついた心で、更につらい新たな仕事に挑むのだ。

私は車に乗って村に向かった。

 

村に向かう道中、今回の任務を再確認する。

この村にインフラを保ったままにしておくお金はもう市は出すことはできない。

よって、村民全員の移住が市側の案である。

市には空き家がたくさんあるため、そのどこかに移り住んでもらうことになる。

耕作放棄地も山ほどあるため、農業を続けることもできる。

古くなっている空き家のリフォーム代も、耕作放棄地の農地化の代金もすべて市が払うことになっている。

老人ホームへの入居希望も受け入れるが、今すぐ入居できる施設がないため、しばらくは市内のマンション一部屋を貸して一人暮らしをお願いすることになる。

車に乗っている間、先輩が貴重な住民リストをくださった。

このリストの順に家を訪ねて、説明と交渉を進めていけばきっとうまくいくだろうというリストだ。

村に着いて、リストの通りに回っていたら、本当にうまくいくので私は拍子抜けした。

ほとんどの住人が、人の少なくなった村で生きることを寂しく思い、また、病院の非常に遠いこの村の不便さに不満を持っていたのだ。

中には、市内への移住ではなく、息子の家を二世帯住宅にして住みたいなどといった話もあったため、先輩に話して補助金を出してもらってなんとかすることにもした。

今のところ非常に順調で、どのご家庭でも移住を認めてもらうことができ、残る家は一軒となった。

 

チャイムを鳴らすと、中からおじいさんが出てきた。

中肉中背、八十代くらいだろうか。

少し背は曲がっているが、<ruby矍鑠(かくしゃく)としていて眼光は鋭い。

「西村さんのお宅でしょうか?」

「ああ、俺が西村だが」

「私、市の人口減少課の垣根と申します。ご気分はいかがですか?」

名刺を出すも、受け取らずに怪訝な目で私を見る西村さん。

「なんだ、どうした。用件を言え」

「えー、今回伺いましたのは、この村のインフラのことについてご説明するためでして……」

「長ったらしい。手短に話せ」

「そう言われましても……」

高圧的な態度に変な汗が背中を伝っていく。

「とりあえず、これまでの経緯とお願いしたいことを説明させてください!」

「早く説明しろ」

恐怖の中、なるべく短く説明する。

言葉を選べていないことが分かっても舌の動きが止まらない。

適切な説明ができていない。

「移住? 最初の、十年前の説明と違うじゃないか」

やはりそれを言う人はいたかと思った。

今までの人だってきっと気づいていたのに、移住に文句がなかったから口に出さなかっただけなのだと今更気づいた。

「こうなってしまったこと大変申し訳なく思っています」

「俺は認めんし、この村のやつはそんなこと誰も認めないぞ」

「お言葉ですが、他の方は皆さん賛成してくださいました。西村さんが最後なんです」

「あの女だな。あの女がまた適当なことを言ってみんなを騙したんだな」

「そういうことではありません。きちんと説明して理解していただきました」

私の必死の抵抗も虚しい。

「大体俺は最初から反対だったんだ。絶対にこういうことになる、この村がなくなってしまうってことは分かってたんだ。今回ばかりは黙っておれん。俺は絶対ここから動かない。分かったらさっさと帰れ!」

ドアを閉められてしまった。

最初から反対意見があることは分かっていたじゃないか。

それでも、きちんと説明ができなかった。

説明をさせてもらえるような適切な言葉を選べなかった。

私の、失敗だ。

 

私には人と違う点がある。

親が三人いるということだ。

私は体外受精によって、代理母から生まれた。

パパ、ママ、お母さん、三人の愛を受けて育つようにと付けられた私の名は三愛(みあ)

子供を産めない体のママの代わりに、パパとママの親友で、結婚する気のなかったお母さんが代理母として、シャーレで作られた見えないほど小さかった私を子宮に入れ、お母さんがお腹を痛めて産んだ。

人口減少に歯止めをかけるために、新しい家族の形を認めようと二十四年前に民法が改正され、日本でも代理母が認められた。

その最も始めの頃に生まれたのが、私だ。

体外受精をする、しかも他人に産むことを頼んでまで子供がほしい、という行為、感情はとんでもない執念だと思う。

そこまで私の生は、望まれ、熱望された。

そして一時の感情ではなく、計画的に、機械的に生まれた。

この世に生を受けてからは過剰な愛を受けて育った。

そこが他人と圧倒的に違う点だ。

「生まれてきてくれてありがとう」

「生きてるだけですばらしい」

三人が三人、みんなそれぞれの言葉で同じ意味の愛を囁く。

誰しもが望むような「存在するだけで注がれる愛」の過剰投与によって、私はいびつになってしまっているのだ。

まるで私がすることに何の意味もないと思われているような、どう生きてもあの人達には全く関心がないような、そんな感覚に陥ったこともある。

思春期の頃のことだ。

それでも、私は「愛」に歯向かえなかった。

どんなにひどい失敗をしても無慈悲に注がれる愛は、私にとっては畏怖の対象だった。

私は一つの対象にそこまでの愛を注げない。

尊敬すると同時に恐怖した。

私はずっと、愛に報いるために親孝行な子供を演じ続けた。

一方で、人工授精で生まれたこと、代理母から生まれたことは他人にはずっと隠し続けた。

お母さんは私を産んでくれたとき以外はずっと海外で仕事をしていたので、隠すことは容易だった。

周囲にも人工授精で生まれた子供なんていない。

いるとしても隠しているのだと私は思った。

隠すべきことなのだと思っていた。

就職して、清水先輩に出会って、私にとって清水先輩はその点で憧れになった。

清水先輩は、日本で代理母の制度ができる前に、タイで代理出産によって生まれた。

よって先輩には、二人の父親とタイ人の母親がいる。

先輩の口調が少しだけ変に女性っぽいのも、女性の自然な喋り方を身近で見て育っていないからだと私は認識している。

先輩は、コンプレックスであるはずの人工授精の事実を、臆することなく他人に話す。

まるで、それが当たり前のことであるかのように話す。

コンプレックスなど、感じたことがないかのように話す。

先輩の部下になって、初めて先輩の生い立ちの話をされたとき、その堂々たる姿に私は思わず泣いてしまった。

それは、私の理想の姿だった。

自分の姿が間違っている気がした。

先輩は私に、「いつかわかる日が来る」と言う。

「誰にでも普通に話せることになる」と言う。

先輩に会って、話を聞くうちに、愛に対する私の捻じ曲がっていた感情が、少しだけ理解できた気がした。

愛を受けていることを素直に嬉しいと思えるようになった。

それでもまだ解きほぐせない。

愛を受けすぎて育った自分や先輩と、その他大勢は異なっているし、その他大勢が自然で、私たちが不自然だという感覚は否めない。

結局他人に話せるようにはならないまま、一年が経っている。

この身体は、誰のものなのだろうか。

少なくとも、私のためのものではないような気がしてならない。

 

西村さんに移住の件を突っぱねられてから、私は先輩に謝罪の電話を入れた。

先輩は、「あー、やっぱり西村さんはダメだったかー。うん、予想通りだから大丈夫よ」と、なんだか優しく話してくれているように感じた。

「でも自分の尻拭いくらい自分でしなさい?」と、優しい口調のまま少し厳しい事を言うので、何をさせられるのかと思ったら、西村さんの息子さんのメールアドレスがメッセージに届いていた。

取り急ぎメールに現状報告と謝罪とオンラインでのお話し合いの協力を書いて送った。

メールはすぐに帰ってきて、オンラインでのお話し合いが二日後に決まった。

 

その二日間の間にも、西村さん以外の住民の移住の話は着々と進み、実際にどの部屋に移り住むかなども決まり始めていた。

話を持ちかけた最初は手放しに喜んでいたおばあさんが、「便利なところに行けるのは嬉しいけど、やっぱりずっと暮らしてた場所を離れるのは寂しいわねえ」と、遠くの方を見つめながら仰っていたときのその目が妙に印象的だった。

私たちの世代は生まれたときからVRがあるからか、それ以前の人と比べて場所や実存の感覚が希薄だ。

私たちより少し上の世代の人は、VRが生まれたことで本物志向が強まったらしいが、私たちの世代の人間にとってVRと現実の間はそんなに離れたものじゃない。

私たちにとって見たい景色はほとんど同じものがすべてVRで見ることができる。

VR上で欲しいものがあればダウンロードすれば手元の3Dプリンタからすぐに出てくる。

組み立て式のものならポータブルの3Dプリンタから外出先でも出力できる。

現実のものを作り変えようと思えば、スキャンしてVRでいじるだけで3Dプリンタから出てくる。

自然の食材を使った料理を高い金を払って買わなくても、食用フィラメントと調味料を機械が混ぜて、なんとなく美味しい物は食べられる。

ずっと暮らしてた場所から離れたとしてもVRでいつでも行けると思ってしまうから、そこに寂しさを感じることを印象的に思ったのかもしれない。

 

西村さん、西村秀樹さんは調べたら九十歳だったので、その息子さんの西村耕太さんも五十八歳で、少し考えたらわかることだが自分よりかなり年上で驚いた。

都会の空きビルなどを改装して作った野菜工場の経営をしていて、他の工場の経営指導や投資なども力を入れている敏腕社長だ。

今回は、お父様の大事な話だということで、無理に時間を作っていただいた。

もう一度しっかり事情を説明して、できるだけ丁寧な言葉でお詫びした。

「うちの親父も頑固だから大変ですよね」

「それでもやはり市としては移住を考えてもらうしか道がないのです」

「それなんです。どうしても移住を、としつこく言ったところで、親父は収まりません」

「と言われましても……」

「さっきの話だと、垣根さんも話を聞いていただけなかったと思ってらっしゃると思うのですが、うちの親父も全く気持ちを話してませんよね」

「『認めない』『反対だ』『俺は絶対動かない』とおっしゃっておりました」

「それは気持ちではなくて主張です。差し出がましいようですが、その主張がどんな気持ちで出てきたのか聞かない限り交渉も何もありません」

確かにその通りだ。

私は相手の主張を突っぱねて自分の主張を聞いてもらうことしか考えていなかった。

お互いにその調子なら交渉ではなく、ただの子供の喧嘩だ。

決裂するのは当たり前だ。

そんなことも分かっていなかった自分がもどかしい。

「……全くそのとおりでした。大変申し訳ありませんでした」

「いえ、こちらの親父様もお互い様だと思います」

失敗を的確に指摘されて、非常に気まずい。

しかし、これほど直截に物を言ってくれるこの人が信頼に値する人だということはわかった。

それならすることは一つだ。

「大変申し上げにくいのですが、耕太さんは、お父様がどのような気持ちで移住に反対しているのかわかりますか?」

耕太さんは驚いた顔をして、それから少し思案してこう言った。

「あの土地は、親父が生まれて、育って、骨を埋めようと思っていた土地なんです。大切な思い出もたくさんあるのだと思います。あなた方若い人からすると、そこの景色が視界にあればそこの場所だと思うことができるのかもしれません。思い出だって本来頭のなかにあるものですから、景色を見ればどこにいようと想起することができるのだと思うのですけれど、年寄りからしたらそうは思えなかったりするんですよ」

「そうなんですか……」

やっぱり自分には分かっていなかった。

意外な回答が返ってくる事自体は意外ではなかった。

「親父の話を直に聞きたいので、次の交渉のときには垣根さんに同行させてもらってもいいですか?」

ドキッとした。

「も、もちろん構いませんが、予定の方は大丈夫なんですか?」

「そこはまた追ってご連絡差し上げます」

「わかりました。ありがとうございました!」

 

耕太さんとともに交渉に向かう日の朝、起きたらメッセージが届いていた。

お母さんからの返信だった。

「三愛へ 悩んでいるのかもしれないけど、あなたがどうすればいいかは、私や、パパやママが決めることじゃないよ。あなたの人生はあなたのものなんだから、あなたの好きなように頑張りなさい。もちろん、この言葉だって守らなきゃいけないことじゃないし、あなたがどうしたって、その旅路を応援することしか私たちにはできないから」

ジーンときている私の気持ちに、水を注すようにイアが口を挟む。

「やっぱり、お母さんはミアさんのこと分かってますね」

「うん」

「きっと、パパさんやママさんも同じことを思ってます」

「そんなこと、わかってるよ」

鼻をすすりながら答える。

「私だって、同じ気持ちなのですよ? あなたからの愛だけを受けて育つAI一愛(イア)が、あなたを応援しないわけがないのです」

少しすねたようなその態度に、思わず笑ってしまった。

「ありがと。がんばるよ」

両手で自分の頬をペシンと叩いた。

さあ、行きますか!

 

耕太さんは、想像より一回りくらい背が高く、がっしりとした方だった。

「今日は無理を言って予定を変えてもらってしまってすみませんでした」

「いえこちらこそ、お忙しいのにわざわざ時間を作ってくださってありがとうございます。車はこちらに用意してあります」

二人で車に乗り込み、細い道を進んで村へ向かう。

道中様々な質問をされた。

最初は人口減少課に関する質問で、私は先輩が説明会でするような返答をしていたが、だんだん個人的なことになり、親の話になった。

私は普通の家庭で育ったかのような話を、やっぱりでっち上げて話してしまうのだった。

しばらく話していると車は西村さんの家の前についた。

前来たときには気付かなかったが、丘の上にあって空が晴れているとなかなかいい眺めだ。

家自体は古いが、周りの農地にもまだ作物が植わっている。

九十歳で、一人暮らしで、ほぼ自給自足をしているようだった。

気持ちを切り替えてチャイムを鳴らす。

「西村さん、人口減少課の垣根です」

「なんだ、また来たのか。俺は出ていかんから帰れ」

インターホンの前に耕太さんが割り込む。

「よう、親父」

「耕太、お前どうして」

「とりあえず話だけでもしてやってくれねえか? これじゃあの人は理由もわからず突っぱねられただけだ。大人が意見を貫くときはちゃんと納得させろって、親父昔から言ってたじゃねえか」

「よろしくお願いします」

インターホンには映っていないかもしれないが、深々とお辞儀をする。

「……入れ」

玄関の鍵が開いて、私は前線に向かう兵士の気持ちで中に入っていった。

家の中は、良く言えばとても片付いていて、悪く言えば殺風景だった。

小さい仏壇がちょこんとあって、中年くらいの女性の遺影が立てかけられていた。

「座れ。まずはそっちの話を聞かせてくれ」

「はい。この間は不躾な対応をしてしまい誠に申し訳ありませんでした」

その後反省している旨をなるべく丁寧に伝え、市としてはこれ以上この村にインフラを保つ予算はなく、村への電気を上下水道を止め、道路を閉鎖し、村を実質廃村にするしかないということを率直に伝えた。

「それじゃあ最初に言ったことと違うから反対だと前に行ったはずだ」

高圧的な態度は前と変わらないが、私は伝えたいことをしっかり話せている。

「それだけですと市としてもどのような対応を取れば良いのかわかりかねます。なぜ村を離れたくないのか、私にはわからないのです。それを教えていただけますか?」

「馬鹿にしてるのか。そんなの自分で考えればすぐわかるだろ」

「親父、この人にはわからないんだ。本当にわからないんだ。時代が変わって人も変わって価値観も変わったんだ。ちゃんと説明しないとわかってもらえないんだ」

そう、私にはわからないのだ。

自分とは違う他人の気持ちがわからない。

それは人間という存在にとって欠陥かも知れない。

けれどその欠陥は、わからないままでいいという理由にはなりえない。

しばらく黙り込んでから、今までとは違うトーンで西村さんは話し始めた。

「俺は生まれてからずっとこの村で育った。先祖の開墾した畑を耕して、きれいな妻を娶って、息子が生まれて……。とにかくずっとこの村で過ごしてきた。この村が大好きなんだ。この村には思い出が山ほどあるんだ」

俯きながら滔々と語る西村さんは、なぜか言い訳をする子供のようにも見えた。

「もう一度村に活気が戻ったら、きっとこの丘から沢山の人が見られる。人が増えればいろんな作物を分業して育てられるし、村のみんなだってもっと生きやすくなる。それに祭りをもう一度できるかもしれない。何百年も前から続いた祭りなんだ。もう一度若いもんにお囃子を教えて、これからも伝えていけばきっと歴史に残る良いものになる」

突然顔を上げ、息子を縋るように見る西村さん。

「そうしたら、きっと耕太だって、耕太だって、この村に戻ってきてくれるんだろう?」

「親父!」

突然耕太さんが声を荒げ、堰を切ったように喋りだした。

「親父の追い求めてるものはもうないんだよ。時代は変わったんだ。とっくに過去になっちまったんだよ。ここにはない、もうどこにもない過去に。村に活気も戻らないし、祭りも二度と行われないし、俺だってここで暮らしたりしない。全部過去なんだ。親父は過去を見てるんだよ。インフラがなくなれば親父はきっと死ぬ。でも、過去のために、今はない幻のために死なないでくれ!」

厳しい言葉だった。

それは現実だった。

西村さんは泣きそうな顔で言葉をつなぐ。

「じゃあ、ここで生まれた記憶はどうなるんだ? ここで死んだ人の魂はどうなるんだ? 全部幻だったっていうのか? ここにしかないんだよ。俺や、母ちゃんや、爺さん婆さんや村のみんなが生きてきた証は、ここにしかねえんだよ! お前らにはわからんかもしれないけど、ここにしかないものが、ここにはたくさんあるんだよ! 俺はそれを守らなきゃいけねえんだよ!」

私にはきっとわからない感情なのだ。

けれど、その感情の大きさは、痛いほど伝わる。

これが、この人の愛だ。

しばらく沈黙が続いてから、耕太さんが私に切り出した。

「黙っていて申し訳ありませんでした。実は事前に、この家だけインフラがなくても生きていくための予算を自ら調べてきていたんです。私の今投資している工場をいくつか売れば、太陽光発電と浄化槽を設置し、新しい井戸を掘る事ができます。市からの予算が必要なければ村に住んでいてもいいんですよね?」

「耕太……」

私は唐突な申し出にとっさの言葉が出ない。

「私たちがどれだけ言おうと、親父の気持ちは親父のものです。誰にも否定することはできない。この世界にはどうしようもないこともあるかもしれませんが、息子の私の手でどうにかできるうちは、親父の好きにさせてやってくれませんかね?」

その言葉に唖然としてから、戸惑いながら問いかける西村さん。

「ほんとにいいのかよ……。工場売っちまって……」

「いいんだよ。そんなに規模ばっかり大きくしても何の意味があるって思ってたところだしさ。それに、親父の願い叶えられなかったら親不孝で死ぬまで後悔するだろうよ」

きっと、私にはこんなふうに親を思う気持ちもわからない。

それでも、美しいものだと思った。

「どれだけ考えても、この村に残る価値は理解できませんでした。それでも、お二方の持つ熱い思いの大きさは伝わりました。なんとか上に掛け合ってみようと思います」

 

家を出たとき、耕太さんがつぶやいた。

「この家とももうお別れか……」

「何を言ってるんですか。また来られますよ」

「だって道路も閉鎖されて使えなくなっちゃうし」

「来年から、市で有人ドローンの貸し出しを始めることにしたんです。自動運転で空からここまで来られますよ。もう一年待てば、きっとまた会えます」

顔を輝かせる耕太さん。

「垣根さんも実際に会うことの良さがわかったんですか?」

私は笑顔で答える。

「わかりませんけど、気持ちは伝わりました」

思いの詰まった山村を青空が包む、晴れやかな午後だった。

 

「それで、結局移住交渉は失敗したのね?」

「ええ、まあ、結論だけ言えばそういうことになりますね……」

帰ってきて、自分のしてきたことの重大さに頭を抱えていた。

結局仕事ができていない。

その場の感情に流された自分がなんて馬鹿なのだと思っていた。

「いいんじゃない?」

「へ?」

「インフラの予算が出せないだけだもの。市のせいで人が死んだりしなければ全く問題ないのよ。今どき山奥に家建てて暮らしてる人いっぱいいるしね」

先輩が私の目を見て言う。

「少しは大人になれたんじゃない?」

 

 

 

 

「先輩は、親が三人いてよかったですか?」

「そりゃ当然よ。支えが三つあるんだもの。自転車より三輪車のほうが安定するでしょ?」

「たしかにそうなのかもしれませんね」

「三人分の愛を受けて育ったんだから、1.5倍。普通の人の1.5倍は幸せにならないと損よねー」

「損得の問題なんですかそれ」

私は笑う。

未来はどうなるかわからないけど、幸せになりたいと思うことなら私にもできる。

それを叶えるために、今を生きよう。


あとがき

 

時代劇をあまり見ない人なのですが、昔ほんの少しだけ時代小説を読んだことがあって、そこに描かれている人々は、今と変わらない「人間」でした。

どの時代になっても人間は変わらないという前提がないと、時代小説はうまくいきません。

その前提に則って、三十年先の時代を描いた小説を書きました。いかがでしたでしょうか。

 

とはいっても、この小説を書いたのは一年くらい前で、去年の九月末締め切りの星新一賞のために書いたものであります。星新一賞の学生部門には、三十年後の未来をイメージしてというお題がありました。

というわけで、必死に絞り出した三十年後が僕の中ではこんな感じでした。

 

SF小説の決まりとして、「その小説に初めて登場する未来的アイテムは説明を入れないといけない」というのがあります。

ドラえもんはポケットから取り出したアイテムを説明してから使いますよね。

でも、それはのび太くんという、アイテムの使い方を知らない人が存在するから説明するのであって、実際にそこに生きている人は説明なんてしません。

僕らはLINEが来たときに、「スマートフォンにLINEが送られてきた。LINEというのは短いメッセージを送りあうSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)のことだ」なんて描写せず、「あ、LINE来た」で済みます。

故に僕はSF小説のお決まりの「謎の説明」が書きたくなくて、自然に自然に組み込ませるにはどうしたら良いだろうかと試行錯誤しました。

説明を入れないといけないところはなるべく話の本筋の説明のように見せかけたり、説明を入れなくて良いところは省いたり、いろいろしました。

なので、例えばイアが『どういうデバイスからどのように』話しかけているとかは全く描写していません。

ミアちゃんが移動に使っていた車は自動運転車ですが、その頃には当たり前になっていると思うので描写はしてません。

本当にあるかもしれない未来の小説が書きたかったのです。

 

 

理解できないこと、というのは世の中にはたくさんありまして、というかどんな事実も根源的なところでは誰も理解できていないのかもしれません。

1+1が2であることを理解できている小学一年生と理解できない小学一年生では、今の学校制度では算数の成績が良くなるのは前者です。

ですが、リンゴを二つ見せられて、これらのリンゴは根源的に違うものだから足しても2だと思えないと表現する人も、いると思います。

そういう人の方が場合によって強いこともあると思うのです。

人間が500人死ぬときと501人死ぬときを比べたとき、違いをより強く実感できるのは後者の方なのかもしれないと、少し考えてしまいます。

少し小説の方に話を戻しますが、ミアちゃんは理解できないものを理解しようとする人だと思います。

ミアちゃんにとって、人の気持ちは分からないものです。

けれど、その分からないものを自分の手段に置き換えて理解しようとする人なのです。

もちろん、人の気持ちが分かる人なんていませんし、いたら相当怖い人なのですが、人の気持ちが分かっている気になっている人はそれなりにいます。

ミアちゃんは、分からないのです。

分からないから自分の尺度に戻して再解釈する。

僕は、分かっている気になっている人より分からないけど分かろうとする人の方が、分かってくれるような気がします。

もちろんミアちゃんの劣等感が良いものだという気もありませんし、理解できないと割り切ってしまう姿勢も全面的に賛成という訳ではないのですが、ミアちゃんには強く生きて欲しいなと思います。

 

さて、この話は、コミティア119で頒布しました、「Moonless Night Cat」という本の六編ある中の一編となっています。

在庫は残り一冊となってしまいましたが、再版の希望が多ければ、もう一度刷りたいとも思っています。

再販の希望がある方は、このサイトのお問い合わせフォームの方から、「○冊再版希望」と書いてご連絡ください。

いずれ再版するかもしれません。

 

というわけで、ここまでお読みいただきありがとうございました。

真夜猫でした。