BLUE BLOOD

嘘をつくのはいけないことだという。

嘘つきは泥棒の始まり。

犯罪者の始まり。

そんな事を大きな声で言えるみんなは、きっと嘘なんかつかない。

嘘つきは僕だけ。

大きな声で言えない僕だけ。

 

 

「おめー、今日の宿題は?」

教師は言う。

男にしては甲高い声が鼓膜を小刻みに揺らす。

無言の圧力は教室を埋め、その圧力はこの教室全体から発せられるものだと気づく。

「忘れました」

僕は言う。

絞り出した声は弱くか細いものにしかならない。

どうやらその声は届く事は無かったらしい。

「聞こえねーよ!」

教師は叫ぶ。

大きすぎる声が教室中を揺らす。

みんなが僕を見ている。

「家に忘れました」

僕は負けないように叫ぶ。

しかし喉から出た声はかすれていて、教師のような声は出なかった。

教師は僕の髪をつかむ。

「お前、やる気あんの?」

教師のつばが顔に飛び散る。

「やる気無いよなあ?」

教師の顔は怒りに歪み、もはやその奥に潜んだ感情が怒りなのかそれとも別の何かなのか判別がつかない。

僕の首は執拗に前後に揺らされ、痛みに僕は呻くしか無い。

「帰れよ。やる気無いなら帰れよ」

教師は僕の首を固定する。

「宿題家に置き忘れるの何回目か分かる? 十回目。他の人が一回も忘れない宿題を、お前は十回家に置き忘れてるの。二桁だよ? それでやる気あるとかなめてるでしょ」

教師の言うことは正しく、僕がこういう仕打ちを受ける理由が手に取るように分かった。

「おい、目開けろ」

教師は僕の頬をひっぱたく。

いつの間にか僕は目をつぶっていたようだ。

「俺が今何言ってたか言ってみろ」

僕はなんて言うべきかわからず、とっさにごめんなさいと言った。

言葉だけでなく涙までもこぼれてくる。

「受験なめてるだろって言ってんだよ! こんなことも分からないならそりゃ宿題も忘れるわ、うん。帰って」

髪が離され、僕はひざまずいて嗚咽した。

「ごめんね、帰ってくれない? 邪魔だから」

僕の額に教師の靴がコツコツと当てられる。

「お願いしますよ、ほんとに。ごめんね、痛かったよね、わかるわかる。でもみんなのためなんだよ。君がここにいるとみんなが受験に落ちちゃうんだ。君にみんなの人生背負える? 二十人分の死ぬまでの人生全部君のせいで台無しになるんだよ?」

とっさに動けない。

言葉も出ない。

「言ってることもわからないほど馬鹿なのね、なるほど。じゃあ俺が出してあげるわ」

教師は僕の髪をもう一度つかみ、教室の外に引っ張り出す。

ずるずると引きずられ、外に出た僕の上に、僕の鞄が落とされる。

「もう二度と来なくて良いから」

閉められた扉の向こうで、教師は言った。

「嘘つきは良くないよね。みんなの時間が十五分も無駄になった。じゃ、授業始めよっか。前回の続き開いて」

 

 

授業が終わる時間まで公園にいた。

街灯の明かりで教科書を読んだ。

今日何をやったのか親に聞かれたら答えられるように、できるだけ読もうとしたけれど文の意味が分からなくなって辞めた。

一人でブランコを漕いで、疲れて辞めた

砂場を掘ろうと思ったけれど、爪の間に砂が入るとバレるから辞めた。

他の子は今どんなことをしているのだろうと思ったけれど、比べたところで僕が変わるわけじゃ無かった。

公立中学には行きたくない。

公立中学に行くくらいなら何だってする。

そう思って塾に行き始めた。

けれどいざ始めてみると、周りの人がうらやましくて仕方なくなった。

「何だってするなんて決意さえ、嘘だったんだよ」

僕はそう自分に言い聞かせる。

「嘘つきの僕の気持ちなんて嘘だらけだから」

僕はそう自分に言い聞かせる。

明日からはもう塾には行けない。

だから、一人で公園で勉強しよう。

帰る時間を変えなければ、お母さんにはバレない。

ちゃんと勉強しないとあの中学には行けないけど、それでも行けるところはまだある。

だからそこに落ちないように少しずつ勉強しよう。

暗い中、もう一度教科書を開いた。

手が冷たくて、うまくページがめくれなかった。

 

 

お母さんは、いつもみたいに帰ってきた僕を褒めてくれた。

今日もちゃんと勉強して偉いと言って褒めてくれた。

僕は一人でご飯を食べながら、街灯の下で暗記した教科書の内容を話す。

お母さんにはバレなかった。

いつものような笑顔だった。

ご飯のあと、家に置き忘れてきた宿題のプリントを開いた。

僕の嘘が染み付いていた。

僕の身体の中には真っ赤な嘘が流れている。

きっとそれは僕が嘘つきだからで、どうしようもなく犯罪者だからだ。

そして、きっとみんなの中にはそんなものは流れていない。

みんなの血はきっと赤くない。

きっと、綺麗な青色だ。

だってみんなは、嘘をつかないから。

 

 

隣のクラスの学級目標は「みんな仲良く明るい三組」で、うちのクラスの学級目標は「毎日キラキラ楽しい二組」だ。

僕の毎日は別にキラキラもしてないし楽しくもない。

でも、そういうことになっているのだ。

日直日誌には、「今日も学級目標を守れましたか?」という欄がある。

毎日そこに丸が付けられる。

時々回ってくる自分の日直の日に見ても、日誌にバツが付いていた日は一度も無かった。

だから、僕の毎日もキラキラしていて楽しいものにされている。

そういうことになっている。

きっとそれは、僕含め二組のみんなの毎日がキラキラしていると日直が思ったから丸が付けられたのであって、僕の嘘がバレていない証拠だ。

本当の友達はいない。

本当の友達なんて、いたことが無い。

嘘の友達でも、相手に自分が本当の友達だと思わせていればそれでいい。

だから僕は今日もヘラヘラ楽しそうに遊ぶ。

みんな満足して何も悪い事は起きない。

万々歳で休み時間を終え、どうでもいい授業をどうでもよく聞いて、給食を食べ、遊び、授業のあと帰る。

何が楽しいのか、何がキラキラしているのかはわからないけど、楽しい振りをして、キラキラしている振りをして、過ごしていれば今日も丸が付けられる。

だから僕はここを出るときまで毎日丸を付けてもらうように擬態を欠かさない。

 

 

そうやって何日かが過ぎた。

小学校は何にも変わりなく、毎日日誌に丸が付くようなキラキラ楽しい振りをし続けていた。

公園で勉強するのはやっぱり寒かったけど、バレない方が大事だった。

教科書の内容は難しく、分からないところも多くなったが、できるところを頑張って勉強した。

おかげで漢字は特に得意になった。

そんなころ、転校生がやってきた。

 

 

教師は僕に「転校生の気持ちはお前がよくわかるだろう。色々教えてやってくれ」と言った。

三つ編みのおさげの彼女は、僕に内気そうに挨拶をした。

僕は小学生らしく挨拶した。

彼女は僕の隣の席になった。

それ以上特別これといったことはなかった。

 

 

その日もいつものように公園にいた。

教科書はもうすっかりわからなくなっていたが、母親なんて簡単に騙せるものだと分かってしまってから、帰ってからの報告も適当に済ませるようになっていた。

それでもやはり公園に一人でいてすることなんてないので、街灯の明かりで教科書を読んでいた。

人通りの少ないところの公園だから、誰かがその前を通る事など滅多にない。

その公園の前に、自転車のブレーキ音が響いて、静寂が破られた。

「ちょっとタクミ!」

僕の声が叫ばれて振り返ると、お母さんが立っていた。

お母さんはまくし立てるように言う。

「井上さんのお母さんからここにいるって聞いて、塾に電話したのよ。あんた二週間も塾行ってないんじゃない」

ああ、バレてしまったのか。

僕が積み上げていたものは無駄になってしまった。

「その間毎日ここにいたの?」

積み木でできた塔がガラガラと音を立てて崩れていく。

所詮積み木の塔だ。

「毎晩話してくれる塾の出来事は全部嘘だったのね」

誰かがちょっと揺らしただけで壊れてしまうものだったのだ。

自分が守ろうとしていたものなんて、所詮その程度のもの。

「自分の息子にだまされてたなんて、馬鹿みたい」

その程度のものが、なぜこんなに悲しくなるのだろう。

僕は何を守りたかったんだろう。

「転校させてあげたのも塾に通わせてあげてるのも、ぜんぶあんたのためなのに、なんでそうやって裏切るような事するの?」

そう、嘘は裏切り。

後から考えてもよくわからないくらい小さなもののために、僕は人を裏切るんだ。

「なんとか言いなさいよ」

僕の口から言葉は出ない。

夜の公園の静寂はまた帳を下ろす。

「帰るわよ。ほら、立って」

僕がその言葉にはおとなしく従ったことが、お母さんは意外に思ったようだった。

 

 

どうして人間はこうもみんな堂々と生きているんだろう。

僕にはそれが分からない。

僕みたいに嘘でできた身体に入って、怯えて暮らすような人なんて一人もいないように見える。

嘘をつくのは僕だけ。

それが僕には怖くて仕方ない。

道徳の授業、嘘をついてひどい目に遭う子供の話。

まるで昨日の僕じゃないか。

ごめんなさい、ごめんなさいと言って泣く子供。

僕にとってはその謝罪さえ本当の気持ちだとは思えない。

嘘ばかりつくと本当が分からなくなってしまうのだ。

きっと今教えている教師だって、そんな事知らない。

みんな嘘つきだったら、こんな授業もなかっただろうに。

嘘をつかないから、嘘をついてはいけないよなんて言えるんだ。

みんなが犯罪をしたことがないのと同じ。

つまり僕は犯罪者と同じ。

血が青くない、異端。

 

 

初めて嘘をついたときを思い出す。

前の学校で、ランドセルを川に流されたとき、僕はお母さんに「失くした」と言った。

誰にでもバレる嘘だ。

何のための嘘かもわからない。

けれど、真実を隠すことが、僕にとって何よりも大切なことだった。

それ以降、僕がその学校から出て行くまで、そういうことに関して僕は本当の事は何一つ言わなかった。

誰かが見たこと、誰かが感じたこと、誰かが思ったこと、そういうことを総合した結果、僕は家族と一緒に町を離れる事になった。

僕が一度も肯定しなかった事実を、誰もが信じていた。

僕は嘘つきだった。

かわいそうな、嘘つきだった。

 

 

隣の転校生が言った。

「タクミくんって、いつもつまんなそうにしてるよね」

 

 

今日は学校で一生懸命勉強して、休み時間には友達と遊びました。

帰ってから塾に行って、たくさん勉強して頑張りました。

キラキラ楽しい一日でした。

今日は学校で一生懸命勉強して、休み時間には友達と遊びました。

帰ってから塾に行って、たくさん勉強して頑張りました。

キラキラ楽しい一日でした。

今日は学校で一生懸命勉強して、休み時間には友達と遊びました。

帰ってから塾に行って、たくさん勉強して頑張りました。

キラキラ楽しい一日でした。

今日は学校で一生懸命勉強して、休み時間には友達と遊びました。帰ってから塾に行って、たくさん勉強して頑張りました。キラキラ楽しい一日でした。今日は学校で一生懸命勉強して、休み時間には友達と遊びました。帰ってから塾に行って、たくさん勉強して頑張りました。キラキラ楽しい一日でした。今日は学校で一生懸命勉強して、休み時間には友達と遊びました。帰ってから塾に行って、たくさん勉強して頑張りました。キラキラ楽しい一日でした。今日は学校で一生懸命勉強して、休み時間には友達と遊びました。帰ってから塾に行って、たくさん勉強して頑張りました。キラキラ楽しい一日でした。今日は学校で一生懸命勉強して、休み時間には友達と遊びました。帰ってから塾に行って、たくさん勉強して頑張りました。キラキラ楽しい一日でした。今日は学校で一生懸命勉強して、休み時間には友達と遊びました。帰ってから塾に行って、たくさん勉強して頑張りました。キラキラ楽しい一日でした。

 

 

放課後、誰もいない教室。

僕と彼女以外誰もいない教室。

彼女は黒板を消している。

「あかねちゃん」

僕は初めて誰かの名前を呼んだ気がした。

彼女が振り返るのを待たずに僕は言う。

「どれだけ本当にしようとしても、血が赤いままなんだ」

僕は言う。

本当が何か分からなくても、思っていることを正直に言おうとする。

「どれだけ本当にしようとしても、真っ赤な嘘の色のままなんだ」

彼女は無言のまま、僕の方に近寄ってくる。

僕が左腕をまくると、自分が嘘つきである事を確認するためのいくつもの切り傷が見えた。

ポケットから取り出したカッターナイフで、僕はもう一つ傷を付けようとする。

刃が触れただけで指先がしびれるようだ。

弱る右手に力を込めて、強く一筋傷を付けた。

彼女は息を呑んでそれを見つめていた。

「いつもこうやって確認するんだ。でもやっぱり嘘つきのまま」

嘘つきの証が、赤く、赤く滲んでいく。

「みんなみたいな普通の人にはなれないんだ」

滲んだ赤が、したたる。滴る。

 

「大丈夫だよ」

 

彼女は口を開いた。

僕の持っていたカッターナイフを彼女は手に取る。

袖をまくって出てきた左腕は、白くて綺麗で、僕のものとは違った。

震える手で、彼女はカッターナイフをその左腕に突き立てる。

 

真っ白なその腕から、あふれる色は赤だった。

 

彼女の顔は痛みに歪んでいる。

けれど、口元は不器用な笑顔だった。

それが僕のための笑顔で、作り笑いだということは容易に分かった。

その笑顔は、嘘だった。

 

 

 

 

そのあと誰が泣いていたとか誰が笑っていたとか、どういうふうに思ってもらっても構わない。

いつの間にか夕日が差していた教室。

日直日誌を書くのは僕だった。

僕は躊躇いなく丸を付けた。

彼女はそれを見て、少し笑った。

その笑顔が嘘か本当か、僕には分からなかったけど、それでいいと思った。

今日がキラキラ楽しい一日かどうかだって、嘘か本当か分からない。

でも、バツを付けるような日じゃなかった。

赤い夕日がとても綺麗な日だったからだ。


あとがき

 

小学校の頃、自分以外の人間が全部ロボットなんじゃないかと思ってました。

自分の見ている世界だけが真実で、それ以外の世界は全部作り話で、僕が見ていないときには動いてなくて、だから僕が「僕の見ているところを動かしている何か」に思いも掛けない行動をすれば、止まった世界が見られるんじゃないかと思って、よく分からない行動をしていたりした事を覚えています。

そんな、あり得ないけど否定できないような思い込みって言うのがあって、その荒唐無稽だけど否定できない事を信じてしまう少年の話でした。

いかがだったでしょうか。

僕は最後のシーンが気に入っています。

 

この話、最初の案は、いじめられている少年が同級生を切りつけて回って、「なんだ、君の血も赤いじゃないか」みたいな台詞を吐くというオチだったのですが、いかんせん少年が救われないのでやめました。

書いてるうちに、「そうだ、必要だったのはあかねちゃんだったのだ」となったので今のオチがあります。

この文章の会話の描写はおかしなことになっています。

というのも、少年がなんとなく青い血の流れている人間たちを自分と同類だとみなせておらず、うまく会話できないという状況を表現するためです。

 

エイプリルフールということで、嘘について書いたのですが、嘘をついたことのない人はさすがにいないと思うのです。

僕は嘘が苦手で何でもしゃべってしまうし、ほとんど顔に出てしまうのです。

ただ、それでも嘘はつきます。

バレないときもあります。

そういうときに限ってバレたときに大惨事になるんですよね。

僕が今書いてる内容が子供みたいであきれ果てている人もいるかもしれませんが、こんな根源的な事を僕が学んだのはつい最近の事です。

 

ただ、僕は嘘を『許せないこと』に分類したくない気持ちがあります。

真実を言わないということよりもさらに比重の高い、真実をねじ曲げて言うということ。

そこにかかる荷重の大きさは相当なものでしょう。

それを経てまで守りたかったものってなんでしょう。

関係でしょうか、見栄でしょうか、それとも相手の気持ちだったりするのでしょうか。

嘘が良い事だと言うつもりはないですが、嘘と聞いた途端に、「嘘は良くないよ」と言い出す人がいらっしゃるので少し反旗を翻したいと思って言っている次第です。

守りたかったもの全部をひっくるめて考慮して、それから言ってほしいなあと思うのです。

あ、もちろん僕は、誰かの嘘に憤慨している相手の気持ちをくみ取って、とりあえずまずは「嘘は良くないよ」と言う事で相手の気持ちを守り、相手の見栄を守り、相手から自分への信頼関係を守るための自分の気持ちに対する嘘なんかは歓迎しますよ。

というかこの世の「嘘は良くないよ」は全部それに分類されるのかもしれません。

まあ、僕は嘘を見抜くのが苦手なので分かりませんが。

 

さて、いよいよ2017年度スタートです。

今年はどんな一年になるんでしょうか。

ソライロシェルターとしての活動もまだまだ続けていきますのでよろしくどうぞです。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

真夜猫でした。