嘘と永遠

あの人がいなくなってから、どれくらいの時が流れたのだろう。

あの人のことを思い出すと、今でもどうしようもなくつらい思いがこみ上げてくる。

消えることのない喪失感に、何度押しつぶされそうになったことか。

終わることのない孤独が、私を何度連れ去ろうとしたことか。

それでも、どんなにつらくても死なないのは、約束があるから。

何百年経っても、果たされなかった約束。

あの人の遺した理想を、叶えること。

きっと、この先何千年経っても果たされない。

絶望にも似た感情とともに、私は果たされなかった今日を終えて、果たされることのない明日を迎える。

果てのない旅路。

永遠の命。

あの人の理想が、私をまだ生かしている。

 

コツコツという硬い音で目を覚ました。

寝返りを打つと、灰色の空から薄い光が差す窓辺に、小さな影が見える。

昼寝を邪魔された私が少し億劫になりながら窓を開けると、一匹の鳥がとまっている。

その鳥は、私の方を向いて、言葉を発したように聞こえた。

「君は何を嘘にするの?」

どこか疲れたような声をしている気がした。

 

「どうしてあなたは、そんなに疲れた声をしているの?」

「君こそ、いつも全てを諦めてしまいたいような目をしているから、僕が来たのさ」

鳥はあまりにも自然に話し、それを受け入れて当たり前のように言葉をかわしている自分がいた。

鳥は一人で滔々と語る。

「僕は君に幸せを運ぶために来たんだ」

幸せの象徴とは程遠い、モノトーンの服に真っ赤なスカーフを巻いたような鳥。

「君が望むものをひとつだけ嘘にしてあげる。だから、少しだけ元気出して」

少し上から目線のその言葉が、妙に胸をざわつかせる。

「嫌なことやつらいことを、なかったことにしてしまえば、楽になれるかもよ」

嫌なことやつらいこと。

そんなもの山のようにある。

老いることなく二十五歳の見た目のまま、何百年と生きてきた私だ。

消したくなるようなものなんて山ほど見てきた。

 

「あなたは今までにどんなものを嘘にしてきたの?」

「うーん、そうだね。一番多いのは、やっぱり失敗かなあ」

消したくなるような失敗。

なかったことにしたくなるような失敗。

「例えば?」

「それは個人情報だから教えられないよ」

「そういうところはしっかりしてるのね」

「まあ、嘘にしてしまったものをあとからあんまり言うのもかわいそうだしね」

鳥は少しだけ首を傾げながら言った。

 

「それじゃあ他にはどんな種類のものを嘘にしたの?」

私の質問に、若干呆れ顔の小鳥。

「……さっき言ったこと覚えてる?」

「覚えてるけど、私は何を嘘にすればいいのかわからないの」

「そんなことってある?」

「私にとってはあるのよ。個人情報だから詳しくは言えないけど」

「……まあいいや。君の幸せのためだものね」

その鳥は、鳥らしく首をくるくると振った。

「記憶をなかったことにした人もいたよ」

思い出したくもない記憶。

頭の中にあった痕跡もなくしてほしいような記憶。

「現実は変わらないのに、記憶だけ変えて何が変わるの?」

あえてわからないようなふりをして聞く。

「変わるよ。気持ちが変わるんだから行動が変わるし、行動が変われば未来が変わる」

「……ふーん」

「罪悪感も残らないし、一番いい選択だと思うなあ」

 

「ほかには?」

「そうだなあ……」

思い出そうとして一瞬鳥はバツの悪そうな顔をする。

「どうしたの?」

「…………」

鳥は思案していたものの、また向き直って話し出す。

「自分をなかったことにした人がいた」

「…………」

「自分の存在を嘘にしたんだ」

鳥はどこか遠くを見つめている。

「すごくつらそうな顔をしてた。僕は何度も確かめたんだけど、その人はそれ以外望めないって言ったんだ」

「……寂しいね」

「……でも、消える直前にその人は、なんだかすごい晴れやかな顔をしたんだよ。自分が消えるっていうのに。その時だけは、この人に僕は幸せを運べたのかもしれないと思った」

思い出している鳥も、つらそうな顔をしていた。

自分のことを思い出してるかのようにも見えた。

 

「あ、ちなみに」

取り繕うように言う鳥。

「僕が嘘にできないものはないよ。世界とかも願われれば多分嘘にできる」

「したことはあるの?」

「願われたことがないからないよ。でも他の世界は少しずつ消えて、嘘だったことになってるのかもね」

大きく口を開けた鳥。

どうやらあくびをしているらしい。

「そろそろ、君の願いを聞いてもいいかな?」

「もう少しだけ待って。今日のうちには決めるから」

未だに私は心が決まっていなかった。

「そうかい。じゃあまたあとで聞きに来るから。」

鳥は窓から飛んでいった。

 

鳥と別れてから、私は街に出ていた。

数えられないほどの永い年月が経ってしまった街は、思い出のある景色はほとんど残っていない。

学校も、公園も、駅も、商店街も、全部変わってしまった。

都合のいいことに、私のような少しおかしい人間が一人くらい混ざっていても誰も気にしないほど、社会は機械的に人を判断するようになった。

誰も私を気にしない。

言葉を交わしたとしても、その相手が誰なのかを知ろうとするような人は一人もいない社会。

相手を知る必要がある人間は、友人と家族くらいで、それすらいらないという人は、誰ともかかわらないで生きていける。

私にとって生きやすい世界になったが、それは果てしなく寂しい世界だった。

 

思えば私は誰の手も借りず、いろいろなことを嘘にしてきた。

嫌な過去も、失敗も、記憶も、存在も、百年も経てば大抵のことは嘘になった。

それでも消えない記憶はあった。

消せない存在があった。

そうしたものが奇跡で消えるのなら、みんなが望むのかもしれない。

二十五歳の私ならなんの迷いもなく、他愛もないことを望めたと思う。

今の私の望むことが、私を満たしてくれるのかわからない。

何かをなくすことで、私の苦痛が軽減されることはあっても、私が幸せになれるとは思えないのだ。

 

思い出の場所があったところを一つ一つ回っていた。

冬と言っても過言ではないほど寒い街をコートに包まって歩いて行く。

どこに行っても、思い出す顔は一つだった。

その顔は常に笑顔で、永遠に私を苦しめるのだ。

私にとってその人は、友人であり、恋人であり、家族であった。

今、その人は、鎖だ。

私をここに縛り付ける鎖。

その鎖がなくなったら、鎖から解き放たれた私はどうなるんだろう。

願望でも僻みでもなく、ただ純粋な疑問。

私は年を取り始めるのだろうか。

それとも早々に死んだことになるのか。

ただ一つわかることは、普通の人間のような日々には戻れないということだ。

それでも、この日々とは違う日々が待っている気がしてしまう。

動き出した日々。

私はそれを望むのかもしれない。

 

私は、橋に来ていた。

この橋は、何度も架け替えられているが、私が生まれる前から、ここには川が流れている。

あの人と約束をしたのも、この橋の上だった。

川下に沈む夕日を背に立つ彼は、今にも光に連れて行かれそうだった。

しかし、その時の彼の顔は、もう思い出せない。

私だけをここに置いて、私だけを狭い世界に閉じ込めて、私だけを永遠に苦しめて、彼は一人だけ遠くに行ってしまう。

今、私の目の前に光を遮る顔はいなかった。

 

一匹の鳥が、欄干に跳び乗った。

 

「やあ、決心はついたかい?」

真っ赤な光を背にした鳥は、輪郭が焼けて見えた。

「ええ、心は決まったわ」

私の心は晴れやかだった。

「よかった。本当によかった」

その鳥は安堵する。

 

「これで君も幸せになれる」

 

その瞬間、現実をかき消すように、記憶の中から声が聞こえた。

 

『君に幸せになって欲しいんだ』

 

その声によって堰を切ったように蘇るあの人との記憶。

脳裏に浮かぶその映像が、感情の発露が、止まらない、止められない。

感情、感情、感情の渦。

忘れてしまっていた様々な顔。

忘れてしまったはずだった様々な顔。

記憶の中にあるその顔は、笑顔だけじゃなかった。

そう、あなたはそこにいた。

どれだけ離れても、たしかにあなたはそこにいた。

なかったことになんて、できない。

 

「君は何を嘘にするの?」

 

堪えようとすることもなくただ流れていたその涙を、袖で拭って、心にあふれる言葉を紡ぐ。

 

「私はあの人の理想も、あの人の記憶も、存在も、願いも、あの人の願った私の未来も、なかったことになんてできない。だから」

 

私は息を吸い込む。

 

「あなたのような幸せを、嘘にして」

 

数秒の沈黙の間、私はしっかり小鳥の顔を見つめていた。

 

「ごめんね。ありがと」

 

小鳥のさえずったその言葉は、謝罪というより懺悔だった。

 

その鳥は、ずっと悩んでいたのだろう。

自分が嘘にしたもの、自分がなかったことにしてきたものの本当の重さに。

誰かが嘘にしてほしい現実にだって、様々な人の意図がある。

質量がある。

その重さを現実から消してきた彼にも、悔いは残っていたのではないか。

『誰かに幸せになってほしい』

その願いを、その鳥自身の願いを、叶えるたびにその鳥の幸せは薄れていった。

それでもその鳥は、誰かの願いを叶えることが、そうやって自分の願いを叶えることが、誰かの幸せに、そして自分の幸せに、つながると信じて止まなかったのだ。

願いを叶えることに囚われていたのだ。

幸せに、囚われていたのだ。

簡単に叶えられる幸せなんてない。

それが分かっていても、幸せを運びたかったその鳥は、嘘に頼るしかなかったのだ。

 

彼は幸せを顕現した存在。

幸せを模った鳥。

その鳥は、飛んでいく。

沈みゆく赤に向かって飛んでいく。

私の目が夕日にやられて、輪郭がぼやけてくる。

それでも、その子を見つめ続けることが、最期のその子に私ができることだと思った。

もはやその鳥の形は見えない。

見えなくていい。

水平線の先に夕日が消えるまで、私はずっと光の方を見つめていた。

 

「本当の幸せってなんだろうね」

君がつぶやいたのを僕は遠くで見ていた。

本当の幸せがなんだかは誰にもわからない。

僕にだってわからない。

生前、僕の幸せは、君が永遠に生きることだと思っていた。

だから望んだ。

願った。

けれど、生きていく上でつらいことは免れられない。

君が永遠に生きるということは、永遠につらい思いをするということだ。

君が苦しむ姿を見ることが、僕の幸せなのではない。

だからといって、僕の人生だってつらいことばかりではなかった。

君とずっと一緒にいられなかったことは悔しいけど、今でもつらいけど、それだけが人生じゃなかった。

君だってきっとそうだ。

僕の人生は終わったけど、僕は二度と君に会えないけど、僕の理想は君が残してくれた。

君がどんなにつらくても、必ずまた笑うときが来るのを、僕の理想は何百年も空の上から見てきた。

明けない夜はないこと。

つらいことがあっても、いつかどこかで苦痛には終わりが来て、どんな理由であれ君はまたきっと笑ってくれる。

忘れてしまったわけじゃなくても、記憶の中ではなかったことにならなくても、そのつらかったことを必ず君は乗り越えてくれる。

それがわかったことが、僕にとっては本当に、本当に幸せだった。

今度は君の番なのだ。

「本当の幸せってなんだろうね」

僕も遠くの方でつぶやく。

終わらないものはない。

明けない夜はない。

永遠なんてない。

あるのは終わらないように感じる苦痛、明けないように感じる夜、永遠のように感じる時間だけ。

君が君にとっての本当の幸せを見つけるまで、身勝手な僕の呪いは、まだ解けない。


あとがき

 

ここまでいかがだったでしょうか。

書き終わってからそんなに経っていないうちにこのあとがきを書いています。

あんまり気持ちの整理がついていないのですが、頑張って書きます。

 

皆さんは、ウソと言う鳥を知っているでしょうか。

首元が朱色なので、真っ赤な嘘とかけてウソという名前だと僕は思ってたのですが、今調べたら違いました。

鳴き声が口笛みたいなので、口笛の古語の「うそ」から来た名前なんですってね。

 

神道のモチーフに鷽鳥(うそどり)というものがあります。

鷽鳥は、もちろんウソのことです。

僕がウソとはじめて出会ったのは旅行で山に行った時ですが、鷽鳥とはじめて出会ったのは、神社でおみくじを引いたときでした。

おみくじの中に小さなお守りが入っているところがたまにあるんですね。

金色の小さいお守りが、何種類かのうち一つだけ入ってるんです。

どこの神社だかは忘れましたが、僕もそのおみくじを引いて、中から鷽鳥が出てきました。

鷽鳥は、一年の良くないことを嘘にして、吉と取り替えるという意味を持っています。

中学生くらいのときのことでしょうか。

そんなことしちゃっていいのかという衝撃だけは覚えています。

 

僕はあんまり記憶力が良くない方で、いろいろなことをすぐ忘れてしまう傾向にあります。

嫌なことや悪いこともさっさと忘れてしまって、何にもなかったみたいな顔で生活してます。

新しく嫌なことが起きたら、今までにいいことなんて一つもなかったみたいな顔をして鬱になるのです。

あんまり覚えていられないのは、自己防衛のためなのかもしれません。

いちいち覚えていたら生きていけませんものね。

でも、どこかで覚えていて、それが僕の糧になってるとしたら……。

ここまで書いたのにそれがいいことなのか悪いことなのか判別できない自分がいます。

良いことになる場合も悪いことになる場合もあると思うのです。

 

僕はいろいろ忘れていくので、いろいろなことをなかったことにして生きてると言ってもいいでしょう。

僕はそれが悪いことだとは絶対に言いません。

それどころか、いろいろなひとに、忘れてしまえば楽になるみたいなことを非常に軽々しく言います。

忘れた時の問題は一つだけ。

思い出してしまった時の罪悪感です。

忘れたことで本当になかったことになってたならどれだけ良かっただろうと思うようなことは今までに山ほどありました。

でも、今回の彼女は、その幸せを否定します。

もっと言うと、その幸せを叶える存在を否定するのです。

彼女にとってその幸せは本当の幸せではなく、本当の幸せという彼の理想を叶える上では、不要な、むしろあってはならないものだったのです。

本当の幸せって、何なんでしょうね。

僕は今が幸せです。

 

「幸せ」と「鳥」がモチーフとなっているこの話は、「青い鳥」の姉妹編と言ってもいいでしょうか。

誰かにとっての幸せを探す僕の旅は、まだまだ続くのかもしれません。

続かないかもしれませんが、今後とも宜しくお願いします。

コミティアとかpixivとかのいろいろ連絡事項は、Twitterの方で流していくと思うので、よろしくお願いします。

 

それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。