優しすぎる世界とソクラテス

ソクラテス、あなたは言った。
不正に不正で立ち向かうことも等しく不正だと。
僕はずっとあなたを信じていたい。
信じていたかった。
でも、そうしたら。
僕があなたを信じるなら。
僕という不正は、どうやったら正しく在れるのだろう。

ソクラテス、あなたは不正によって投獄された。
不正によって、死刑を宣告され、不正によって、命を絶たれた。
あなたは自分を獄中から救おうとする友人にこういった。

僕たちは決して間違ったことをしてはいけない。
それはどんなときにおいても変わらない。

僕はそれが本当に正しいと思った。
どんなときにおいても、不正はしてはならない。
そういうふうに生きられれば、きっと世界は今と違って見えた。
僕には現実が、黒く映る。

いじめられている知らない下級生を見ました。
僕は黙って横を通り過ぎました。

クラスの優等生がテストでカンニングをしていました。
僕は見て見ぬふりをしていました。

募金を集めているという不審な女性に声をかけられました。
僕はすまなそうな顔をして無視しました。

自分のせいで仲間内の雰囲気が悪くなりました。
僕は気づかないふりをしていつもと同じように笑いました。

正しくないことはわかっている。
でも、でも。

「でも」といって正当化しようとしている自分が正しくないこともわかっている。
それなら、僕には正しさが足りなかった。
そう言って諦める自分が正しくないことも。
こうやって正しくないことをあげつらえば正しいような気がしてしまうことが正しくないことも。
わかっているのにやめない僕が正しくないことも。

女の子がチンピラに絡まれているのを見た。
今日の僕はなにかおかしかった。
声をかけた。

決して間違ったことをしなければ、不正がなくなる世の中だったらどんなによかっただろう。
殴られても抵抗しない僕を見て、殴るのをやめるような人しかいない世界だったらよかったのに。
お金をとられるのを黙って見てたら、そんな僕を見て黙ってお金を返してくれる人しかいなければ。
悪意を感じ取れない子供には、悪いことを何も出来ないような人しかいなければ。
ミサイルが落ちても反撃をしなければ、それを見習って攻撃をやめるような国しかなければ。

ひ弱な僕は、お腹を殴られただけで倒れてしまった。
女の子は連れて行かれ、僕はお腹を何度も蹴られて立ち上がることすら出来なかった。
おまけに財布も取られた。

武力で抵抗することは不正でも、武力を持たないから助けに入らないのも等しく不正。
今の僕の、生き方が、生きてきた過程そのものが、不正。

ソクラテス、僕はあなたが羨ましい。
自らの身に降りかかった不正を高らかに宣言するかのように死んでいったあなたが。
どうやったら僕は、不正を正すために死ねますか。
どうやったら僕は、自分の命と引き換えに、不正を弾圧できますか。

もっと正しければよかったんですか。
もっと偉大だったらよかったんですか。

家に帰ることもできなくなった、僕の脚は海の方へと向かっていた。

やっぱり僕は、あなたを信じ続けることが出来ません。
どんなときにおいても、不正はしてはいけないと思います。
その考えは、今も変わりません。
それでも、どう考えても、僕は自分が不正にしか見えません。
だから、僕という不正を、この腐りきった命を、不正で絶ち切ることに決めました。
こんなに積もり積もった不正に、今さら一つ積み重ねても、何も変わらない気がするのです。

結局僕は、他の人と何も変わらない人間だったのです。

海を臨む、崖の上に立った時、そんな時でも僕は自分の不正で頭がいっぱいだった。
今までの不正のすべてが僕を前へ前へと押す。
僕を引き止めるものは、不正を重ねまいとすることへの執着心だけだった。
もはやそれも、今となってはないに等しい。
少しずつ歩を進めていたが、この長い時間に耐え切れなくなり、思い切って僕は前に飛び込んだ。

僕の不正を、消すために犯した不正も、僕のもの。
それなら、正しくない僕を、あなたは褒めてくれますか。











 

 

 

 

 

 

 

 

 


一瞬の時間のように思えた。

それは飛び降りる前の時間と相反して。

僕は海にぷかぷか浮いていた。

真っ青な空が視界全面に広がる。

世界は優しすぎた。

僕という不正を打ち消してはくれないほど。

正しさの象徴のような空は、今日も青かった。

目が痛くなるほど眩しく、それでも僕は目を見開いて、黙って見ていた。


あとがき

 

哲学の授業でソクラテスの話を聞いて、無知な僕は感動したり絶望したり、なんとも不思議な気分になりました。

そんな他愛もないところから生まれた、一時間半クオリティの妄想落書きですが、少しでもなにか感じていただけましたでしょうか。

 

僕は病気なので、死にたくなるような経験も死のうとした経験も山のようにあるのですが、僕の場合、死んだら楽になるとか、死んだら苦しみから開放されるとかを、死のうとしてる時に考えたことは一度もありません。

僕の希死念慮はすべて義務感が大きな理由になっています。

発端となるようなことは、疲れていて正常な判断が働いていないとか、なにか大きな失敗をやらかしたことを思い出すとか、そういった本当にしょうもないことですが、こんなダメ人間が生きてたら世間様に申し訳ないとか、ただの金食い虫だから家族に申し訳が立たないとか、みんなの和を乱す僕が死んだらみんなのためになるとか、死を決意するときはそういう「他人のため」が大きな理由になります。

まあ、そうやって何度も何度も身の回りの人に迷惑をかけながらここまで生きているのですが、あたりまえのことですが毎回自殺をしようとするときはこの時が最期だと思ってるんですよね。

今度こそはうまくいくと思ってるんです。

その計画が全て失敗しているので今ここに居るわけですが、ここまで成功率0%だと考えると、本気で死のうとしてないんじゃないかなと思う時がかなりありますね。

そんなことを考えるときは毎回本気で死のうとしていることを忘れているんですが。

 

ソクラテスの「どんなことがあっても不正はしてはいけない」という考え方は、僕の波長とかなり合うところがあったのですが、今の事件とか政治とかそういったものを考え始めると、この考え方だけじゃ世界は回らないということが明らかなのです。

それでも僕は、どれだけ自分が不正を積み重ねても、不正によって守られていたとしてもなお、この考え方を捨てられないあたり、お子様だなあと思います。

「どんなに不正を重ねても自分を愛せるような自分」を手に入れられたら、それは不正に目を瞑ってるみたいで、結局嫌な僕はどこに向かえばいいんでしょうか。

 

そんなわけで、かなり落書きに近いものをここまで読んでくださってありがとうございます。

僕はこれからも自分を騙しながら一日一日を過ごしていきますが、それでよかったと皆さんが思ってもらえるなら、これ以上ない幸福だと思います。

これからもよろしくお願いします。