9月23日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

オリオン座流星群の話をニュースで知った。

僕は空を流れる無数の星々を思った。

天文学が好きな方ではない。むしろ小難しい話や細かな知識は頭をすり抜けていく。

それでも綺麗な景色は脳裏に焼き付くのだから、星を見るのは好きだった。

予定表に書き入れてから、誰かに知らせようかと思った。

いろいろな顔が思い浮かんで、夜空の下の顔出しパネルにその顔をはめ込んで、違うなあと独りごちた。

どうしても、誰も笑ってくれるような気がしなかった。

そうすると、それまでとても美しく頭の中で流れていた星が、急に陳腐に見えてくる。

どうしてなんだろう。頭の中にいる誰かが僕の綺麗なものを全部愚かしく貶めている気がしてしまう。

誰でも良いから僕が楽しいって言ったら楽しいって応えてよ。ねえ。

※この物語はフィクションです

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9月22日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

フォンダンショコラって食べたことありますか?

中からドロドロしたチョコが出てくるんですよ。

私その見た目が結構苦手で、血を想像しちゃうんですよね。

ドロッと出てくる感じが頭蓋を割ってるみたいじゃないですか。

それをかわいいって言ってのける皆さんがちょっと信じられません。

私の方が間違ってるんでしょうね。

チョコが出てくるところ、見てみたいですか?

まあ夏に食べるものじゃないですし、秋のこんなに晴れた日に食べるものでもないです。

冬になったら食べてみてください。

味はおいしいので多分気に入ると思います。

※この物語はフィクションです

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9月21日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

遠くから見ているあの人に、好きな子ができてしまったら。

そしたらきっと私は死んでしまうなあと思うんだ。

それだけじゃない。あの人が何をしているところを想像しても、死んでしまいそうになるのだ。

けれど私は遠くから見ているだけなのです。

真夏に雪が降るよりあり得ない妄想で、真冬に雪が降る程度の想像を打ち消そうとしても無理なのです。

あの人がいつもああいう人だからいけないんだ。

私にもチャンスがあるかもしれないみたいな顔をしているのがいけない。

だから、はやく死んでしまうようなことをして、私を殺して欲しいんだ。

私の前で知らない人とキスでもして、息の根を止めて欲しいんだ。

それでもきっと私は生きてしまうから、そのガラスの期待を撃ち抜いて。

※この物語はフィクションです

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9月20日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

手帳をなくした。

それでの日々が泡になって消えていったように感じた。

予定も、日記も、メモも、全部がどこか遠くに行ってしまったのだ。

手帳は綺麗にまとめるのが好きな方で、そのためだけに色ペンを買っていた。

自分だけしか見ないはずのものは、とうとう誰も見ないものになってしまった。

けれど、炭酸の泡のように消えていく様子が、むしろ綺麗に感じるのだ。

儚い自分の記憶の中から、すり抜けていく予定が愛おしく感じる。

確か今週先輩との食事の予定があったはずだ。

何日だか分からないその予定を、忘れてしまったことにした。

その方が、秋めく空を感じられるような気がした。

※この物語はフィクションです

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9月19日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

日が少しずつ長くなってきましたね。

秋めいてきた季節が、時の流れを感じさせます。

先輩、夜は寝られてますか?

誰かに優しくしたければまずは自分の身体に優しくしないといけませんよ。

先輩、食事は好き嫌いなく食べてますか?

人の振り見て我が振りって言ってたのは先輩だったじゃないですか。

最期に夢枕に立って話す相手が、あなたになるなんて思ってもみませんでした。

でも初めて会ったときから先輩は私の先輩なんです。

最期になっても私の秘密は言えないままです。

言ったらあなたは傷ついてしまうから。

※この物語はフィクションです

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9月17日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

夏を思い出していたのです。

あのギラギラに光る太陽とか、目が痛くなるくらい青い空とか、暑さの湧き出したような白い雲とか。

思い出していたのですよ。あなたはもう忘れてしまったでしょうけど。

いろいろあったのですよ。あなたの知らないことが夏にはいろいろありました。

夏の残骸はバラバラになって、もう泣き喚くこともないのでしょう。今は秋が寂しく泣いています。

あなたはきっと過ぎてしまった夏とか、いなくなってしまった彼の話とか、もう考えたくないって思っていると思うのですが。

あなたが知らないところで、私は彼と密かに話をしていたのです。

その記憶も、もうバラバラになって運ばれていく途中なので何を話したって言っても嘘みたいに感じてしまいますね。

それでも私が彼と、確かに話したことだけは救いになるんじゃないかと思ったんですよ。

あの夏には、あなたが思っていた以上に幸せなこともあったことを、私は忘れちゃいけないんだと思いました。

※この物語はフィクションです

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9月16日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

雨が降っていたので雨の歌を口ずさみながら帰りました。

信号待ちの時にお母さんに連れられたカッパの女の子が、「青いお月様、見たかったなあ」と言っていました。

私はついぞ青いお月様など見たことがありませんでしたので、見てみたいものだと思いながら信号を待っていました。

ヘッドライトに照らされる雨粒は青と言うよりは白だし、球というよりは線なのでした。

信号を渡ったところで女の子たちは私とは逆の方向に歩いて行きます。

その頃にはもう女の子は、水たまりをべしゃべしゃやることに夢中になっていましたから月のことなど忘れたのでしょう。

一方私もさっき口ずさんでいた歌の続きを歌おうとしても思い出せなくて、義務感を持って水たまりに飛び込みました。

事務的にべしゃべしゃしました。

もう十分べしゃべしゃして義理も果たせたかなと思ったところで振り向くと、カッパのシルエットはもうありません。

月が青かったら空に溶けてしまうから、子供の想像力は分からないものだと思いながら蛍光灯の反射を踏みつけました。

※この物語はフィクションです

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9月15日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

溶け出した思いが徐々に畳を侵蝕していった。

「なんでもないよ」受話器に向かって口にした言葉は、いつもと同じ。震えてない。

おやすみ、と言って電話を切る。思いは床に流れ出てしまって、身体を動かす度にピチャピチャと音を立てる。

それでもまだ足りないらしい。

明日の朝には窓から流れ出て、私の思いで街を浸してしまうのかしら。

そしたらきっとあの人も気づくはずだ。

私の思いがこんなにも溢れていることに、気づくはずなのだ。

本当は無理なこと、分かっているけれど。

現実ではできないことだと分かっているのだけれど。

ファンタジーが答えを教えてくれたら良いなって思いながら。

※この物語はフィクションです

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9月14日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

夏は終わったなんて、信じられないでいる九月の日。

久しぶりに会った彼女は動きやすそうなジーンズ姿で、髪はバッサリ切られていた。

「そっちは頑張ってるって聞くよ。偉いね」あの頃はしない褒め方が、気持ち悪い。

もう社会人なのか。後輩もできる頃合いだ。

大人ぶっていたあの頃の俺と同じ年。現実は何事もなかったように現実を突きつける。

不自然だったあの頃とは違う不自然さ。みかんの中に混じっていたりんごから、みかんの味がする感覚。

やめろ。俺を肯定しないでくれ。

「お前はもう、諦めたのか?」俺の喉から出た声は、震えていたと思う。

「自分に甘いのは変わらないね」見慣れないベリーショートの彼女がはにかむ。

その瞬間だけは薬指の金属を感じないあの夏だった。

※この物語はフィクションです

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9月13日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

あなたへの思いは心臓に残ったまま。

そんな自分を抱えて街を歩く。

すれ違う人々それぞれの心臓に、それぞれの思いが籠もっているらしい。

雑踏の中にいると、私の中のあなたさえ埋もれてしまいそうになる。

明かりの照らす街の中は、誰かを感じない、一人の世界。

凍ったような街角は、私一人だけ取り残されてしまったみたいだ。

あなたに会えるはずがなくて、誰にも会えるはずがなくて、少し落ち着く。

きっと、あなたのことは嫌いだったんだ。

会いたくないのに思い出していたいから。

今日も私は夜を散歩する。

※この物語はフィクションです

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9月12日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

広い世界の中では、成功があって、失敗があって。

できることとできないことがあって、自分のできることは少なくて。

争いはいつも遠くで起きて、被害を受けるのは自分ではなくて。

それでも無数にあるはずの世界の中心はここにしかなくて。

ハロー、自分。

僕は君を精一杯恨むよ。

君が世界の中心であることを僕は心の底から恨むよ。

僕が動かせるのが君であることが、僕は憎らしくてもどかしくて仕方ないんだ。

世界の中心のちっぽけな自分。

その自分を今、抱きしめているのは自分だけ。

※この物語はフィクションです

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9月11日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

僕の親知らずは横向きに生えている。

横向きに生えた親知らずはいつか抜かなければならない。

それだけのことで人生が億劫になってしまう。

旅に出ようとも、家を買おうとも、宝くじが当たろうとも、恋人ができようとも。

僕の口の奥深くには横に生えた親知らずがいて、今か今かと痛みを与える時を待っているのだ。

人生はつらく苦しいもので、親知らずが横に生えているかどうかなんて、その人のあずかり知らぬところで決まってしまう。

どんな幸せなことがあっても、抜歯の日が来ると分かっていると死にたくなる。

どんな運命かは分からないけれど、僕の親知らずは横向きに生えてしまった。

痛いのは嫌いなのに、全部の親知らずが横から生えてきやがる。

友人ができる度に、お願いだから君だけは横向きに生えないでくれと祈っている。

※この物語はフィクションです

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9月10日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

ここだけの話。あなたには教えてあげる。

この町は一時間前にはなかったのよ。

あなたの乗った電車が駅に着いたときにこの町は作られたの。

だって、私が待ち合わせ場所に着いたときにはまだなかったもの。

あのオブジェだって、あそこのビルだって、今並んでる喫茶店のベンチだってなかった。

あなたが来たからできたのよ。

あなたと一緒にいられるから、私にとってこの町は在るの。意味を持つの。

『なーんだ』って、嘘だと思ってるのかしら。その程度のことって馬鹿にしてるの?

全部本当のことよ。

この町はあなたの魔法が作ったってこと、その意味なんて私に言わせないでね。

※この物語はフィクションです

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9月9日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

深夜三時はとうに過ぎて、僕らは深海の中を泳いでいる。

永遠にも似た残り三時間は僕らの脳とは噛み合わせが悪くて胃もたれしそうだ。

「明日は来ないよ」口から放った言葉は水面に出ることはない。

泡になって消えてしまうのだ。

僕らの言葉が意味を持つまでの残り三時間。

この町と一緒に、僕らも溶けてしまうこともできたのだろう。

それができない僕らのほんの少しの抵抗。

「明日は来ないよ」放つ言葉が町に呪いをかける。

甘ったるくてしつこくて、それでも甘美な残り三時間を呪いは永遠に変えてしまう。

僕たちだけの深海を、今はゆっくり味わうのだ。

※この物語はフィクションです

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9月8日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

楽しかった日々に戻れたとして、再び訪れた楽しい日々を、僕はもう一度楽しめるのか。

「楽しかったよ」彼女は言った。街灯に集まった蛾を僕は見ていた。

「また今度」彼女は言った。僕が彼女を見たときには彼女はもう向こうを向いていた。

楽しかった日々には戻れないけれど、そんなこと分かっているのだけれど。

考えてしまわざるを得ないほど、色褪せたあの日々は綺麗に映る。

「心の底から楽しかった日々って本当にあった?」彼女の声でそれは再生される。

「いつも何かを押し込めて楽しかったことにして、それを思い出して悲しんでるんじゃないの?」

そうなのかもしれない。彼女の僕を呼ぶ声だけ、なぜか再生できなくて少し悲しくなる。

楽しかった日々に戻れたとして、色褪せたその色は目に映らない。

鮮やかな原色は苦しくて、きっと泣いてしまう。

※この物語はフィクションです

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9月6日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「口内炎が治らないので優しくしてほしい」「は?」家に帰ってきた俺に対する第一声はおかえりではなかった。

「口内炎が! 治らんのじゃ!」「やめろ、じたばたするな。響くぞ」部屋着のまま地団駄を踏む彼女。

「虫歯じゃないんだから響かにゃッツ!! 痛ったー……」「言わんこっちゃない」彼女は頬を押さえてうずくまっている。

「とりあえず飯は」「くくってらいれふ」「だろうと思った」冷蔵庫を開けて中身を確認した。

「じゃあおじやでも作るか」「よろひくおねあいひまふ」「そろそろ普通に話してくれ」

スーツの上にエプロンを着けて冷蔵庫の中から野菜を取り出す。料理なんて久しぶりだ。

「飯より先にお願い事がありまふ」「なんだよ、どうした」うつむいた彼女はキッチンの横でもじもじしている。

「今日だけでいいので優しくしてくらはい」耳まで染まった彼女が、急に初々しく見えて恥ずかしくなってくる。

「ん」頭をなでてやっていたらなんだか俺までおかしくなりそうだったので、思わずベチンとやってしまった。

それ以来、この家には口内炎がある人に優しくしようと努力するというルールができた。

※この物語はフィクションです

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9月5日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

老いってつらいですよね。

年齢って足枷だと思うんですよ。記憶で作った足枷。

生きてると少しずつ溜まっていって、どんどん動けなくなってくんですよ。

記憶でできてるので、忘れちゃえばどうってことないんです。そんなことわかってるんです。

わかってるのになあ、なんでこの頭はどうでもいいことまで覚えちゃうのかなあ。

全部糧にして生きていけるほど強くないよ私。

怒られたら逆恨みするし、自分に非があったらぐちぐち悩むんですよ。

顔を見る度に思い出すし、思い出す度につらくなってて、馬鹿みたいだ。

何が違うんだろうなあ、記憶を足枷に変えてしまうものって何だろう。

こんなこと言ってても何の意味もないのになあ。

※この物語はフィクションです

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9月4日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

花びらが何枚あるのか、みんなひと目でわかるものなのだと思ってた。

2で割れる枚数の花は、わざと摘まれるのだとばかり思ってた。

…………スキ、キライ、スキ、キライ。

「また『キライ』だ」そう言う彼女はむつかしい顔をして一枚だけ花びらの残った軸を投げた。

ほら、そんな彼氏と馬が合うわけがない。

最初からわかってたじゃない。わざとでしょ。

おくびにも出さないで、私は咲いていた花を一輪むしる。

スキ、キライ、スキ、キライ……キライ、スキ。

隠れていた。切り取った花びらの下に小さな花びらが、キライの輪郭を残している。

「誰と誰を占ったの?」私は彼女を見ずにもう一輪花をむしり取っていた。

※この物語はフィクションです

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9月3日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

はじめましての珈琲屋で、はじめましての珈琲を飲んだ。

好きな小説のヒロインの名前と、たまたま同じ名前の珈琲。

彼女の引っ込み思案を抽出したような、仄かな甘みと少し強い苦み。

「あいつにそっくりでしょう? 見つけたときびっくりしました」主人公の話す声が聞こえる気がした。

まったく、君たちはひどい。日常生活の中まで侵蝕してきやがる。

きっと二人の世界は、本の中では収まりきらなかったのだろう。

その小説の主人公らしくペラペラとしゃべる彼に返事をせず、僕は珈琲をすする。

僕は彼に嫉妬していた。彼女が目の前にいたら多分、僕だって恋をしていた。

僕だって、彼女のことが好きだった。

その豆を買って帰る僕は恥ずかしいくらい未練がましくて、彼のようにはなれないと心から思うのだ。

※この物語はフィクションです

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9月2日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「もしも、明日人類が滅びたらさ」電話越しにわたしは突拍子もないことを。

「なにそれ、例え話?」電話の声は少し歪んでいる。「うん」わたしは目をこする。「例え話だよ」

「もしも、明日人類が滅びたら、わたしがあなたと最後に会ったのは去年のことになるんだね」

「なんだよそれ」電話の声は少し歪んでいる。「週一で電話してるじゃん」

その声は、まるであの人じゃないかのように、歪んでいる。

「ダブリン、楽しい?」わたしは聞くけど返事は決まっている。「ああ、楽しいよ」

その定型句が分かることは彼の条件ではないはずなのだ。

彼がそこにいることを疑っているわけじゃない。疑うべきは彼の声を忘れてしまうかもしれないわたしの方。

「わたしね、昨日学校休んだんだ」それは本当のことだった。本当であることが情けなかった。

「おやすみ」声を待たずに切った電話。わたしからなくなった三キロ分は、あなたからの愛だったのかしら。

※この物語はフィクションです

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9月1日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「近所に有名なゴミ屋敷あるじゃん」新学期の初日、早く着きすぎた俺にあいつはこっそり言った。

今まであまり話したことはない。サッカーでゴールを決めた時のあいつの顔くらいしか印象にない俺は少し動揺する。

「聞いてる?」俺は気持ち悪くなって首を上下に小刻みに振った。

「あれ、俺の親戚の家なんだ」「えっ」すごく小さな声が自分の口から出たことに驚く。

この間、ガキ大将が石を投げていたあのゴミ屋敷が、親戚の家?

「お前も一緒に石投げてたじゃん」あの時お前も確か一緒にいた。確認のように聞く。

「投げてた」あいつはすごく自然だ。眩暈がするほど不自然な平常感。

「だって、親戚と友達とどっちが大事だよ」

バツンという音がして、チャイムが鳴った。そうか、まだ入っちゃいけない時間だったんだ。

入ってきた友達としゃべり出したあいつが、なんでそんな話をしたのかなんて分からずじまいで良い気がした。

※この物語はフィクションです

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8月31日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「夏、終わるね」小さく呟いた声は、誰に届くこともなかった。

年だけは大人になったのに、いつまでもこどものまま。

幼い自分が許せないあたり、思春期を引きずっている。

アイスクリームが好き。カレーライスが好き。ピーマンが苦手。ブラックコーヒーは頑張る。

今宿題を出されたとしても、多分最終日までやらないだろう。

分かっているのに直らない自意識過剰は、大人の世界では通用しない。

淡い青春の心持ちは、淡いから良かったのだと、今になって分かる。

「夏、終わるね」この声に応えてくれる相手は、今や誰もいなくなってしまった。

明日になったら、季節が変わったら、年を取ったら、大事なことも忘れてしまう。

私だけ変われないまま。

※この物語はフィクションです

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8月30日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

クーラーの利いたリビングでは熱戦が繰り広げられていた。

「っしゃ! 殺した!」諸手を挙げた私。「うわー、ひでー」コントローラーを置いた彼。

「ざまあ」ベロを出した私。「それが好きな男にする態度かよ……」傍らの缶ビールを空ける彼。

お互いスーツを着崩したまま、格闘ゲームに熱中していた。

冷蔵庫にペットボトルを取りに行く彼の後ろ姿が、ひどく優しく思える。

三十分前とは違う理由で泣きそうになる私を見ずに、彼は何もなかったみたいに尋ねる。

「明日、会社行けそうか? それとも明日もゲームするか?」返事の代わりに曖昧な顔で彼を見る私。

「俺はお前の分まで稼いでくるぜ」ペットボトルを片手に腕まくりをする彼は、照明の具合だろうか、眩しく見えた。

「……あと一回勝ったら行く」クッションを抱き直す私。「おっ、じゃあ本気出すわ」指を鳴らす彼。

日付はもう少しで、変わろうとしていた。

※この物語はフィクションです

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8月29日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

補習なのは僕だけだった。

体育教師は屋根のあるところで寝てしまっていた。

僕はプールに入りたくなくて、足だけプールにつけて遠くを眺めている。

いつものプールの時間とは違う、穏やかな時間が流れていた。

飛行船がゆっくりと東の方に飛んでいくから、なんとなく手を振った。

プールサイドに迷い込んだ猫が、寄ってきたので首をくすぐってやった。

夏の一日、一人きりの夏の一日がこうやって過ぎていく。

ドラマなんて要らないよなあ。

帰ったらきっともうお父さんはいないんだろうけど、そんなことと思えてしまう。

ドラマのない、この時間を引き延ばした映画をずっと見ている人生もよかったと思うんだけど。

※この物語はフィクションです

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8月27日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

小さな幸せを積み上げて生きていくことができたら楽なのになあ。

思い出すことは小さな不幸せばかりで、積み上がったものはマイナスに大きく張り出していた。

なんだかうまくいかないのだ。うまくいかないことを他人のせいにするのもちょっと憚られる。

最近、私が得意だと思ってたものが何にもできなくなっちゃう気がするんだ。

なっちゃう、じゃないな。なっちゃった、だな。

小さな不幸せばっかり積み上げて、でも私すごくがんばってはいる気がするんだ。

がんばってないかな。成果は出てないけど、苦しいのに耐えるのだけはがんばってるよ。

逃げてないよ。戦ってるよ。

偉いね。私は偉いよ。成果が出てたらもっと偉い。

とりあえず飯食え、な。飯がうまかったことも忘れないようにするんだぞ。

※この物語はフィクションです

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8月26日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「いつか消えてしまうものは、ないのと同じ」

君が放った言葉は、僕の中に重く残っていた。

十年、二十年、三十年経って、花火大会なんてとうの昔で、君が僕を覚えていなくて。

赤く照らされた君の横顔が、雨上がりの蒸された山の匂いが、膝に零した冷たいかき氷が。

そこにあった僕の感情が。

「そんなの、いつか消えてしまうじゃない」

わかってる。分かっている。証明なんてできない。なかったことにするのは簡単だ。

けれど僕は何も言えないのだ。

花火が打ち上がる。

何も残らない空を見上げて、君が微笑んで海に飛び込んで、あれから五十年経っても僕は君を覚えていて。

※この物語はフィクションです

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8月25日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「愚かだ」彼女は言った。唇は先ほど含んだ水で濡れていて、それを器用に動かして話す様子は虫を思わせる。

虫は思い出したかのように僕を見て、愛想笑いとともに言う。「君に向かって言っているわけじゃない」

「分かってますよ。そんなの」僕は彼女の纏う安っぽい赤色とそこから大々的に吐き出された素足を見る。

警戒色だ。彼女は街行く人にアピールしている。自分が『食べられたくない』ことをアピールしている。

あくまで仕事であることをアピールしている。

僕は、分かっていた。愚かなのは僕だ。彼女自身の選択を、見ていられなかった部外者なだけ。

警戒色の裏の彼女を信じているとか、そんな手垢まみれの感情で彼女の選択を嘲った愚か者。

「行こう。こんなところにいても仕方が無い」彼女は僕の手を取る。僕は従う。

彼女は何を思うのだろう。仕事の邪魔をした僕を、彼女は否定しない。ただ複眼のような定まらない目で見るだけだ。

お金を払おうと僕は思った。自分の価値観から逃れられないのなら、その上で散々馬鹿にしてやろうと思った。

※この物語はフィクションです

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8月24日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

灯台の前に座って、夕日を眺める少女たちがいた。

その誰も喋らない様子を、遠くの方から僕は見た。

一人が傍らにあったラムネを呷る。

果てしないほどの時間が、こことは違うどこかにある気がする。

夕日は沈もうとしている。

少女たちもいつか大人になる。

けれど永遠を願う彼女たちなら、本当の永遠に行けるのかもしれないと、至極真面目に考えてしまうほど。

それくらい彼女たちの纏う光は煌めいていた。

放り投げられたラムネの瓶が、光を反射しながら海に落ちていく。

その光が海に落ちてしまうなら、死んでしまっても良いと思った。

※この物語はフィクションです

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8月23日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

田んぼに落ちました。

落ちそうになった私の腕をつかんでくれたあの子も引きづられて一緒に落ちました。

制服がドロドロになりました。

あの子、眼鏡に泥が撥ねててすごい顔をしていたので、眼鏡のレンズに泥を塗ってやりました。

前が見えないあの子は手探りで私を探すのですが、その様子が激しく滑稽で、吹き出したら泥を投げつけられました。

あの子にバレないように私が後ろに回ろうとすると、足下からヌッチャヌッチャという音が響くのが馬鹿みたいでした。

けれどその音を頼りにレスリングの選手のような臨戦態勢を取るあの子も面白すぎて、二人で笑っていたのでした。

夏期講習の帰り道、私は高三の夏というとあの日を思い出します。

受験の中で消え去ってしまういくつもの日々の中で、その日だけは妙に輝いているように見えるのです。

女優になったあの子がラジオの中で言っている話を聞きながら、いつの間にか私の頬を涙が伝っていたのでした。

※この物語はフィクションです

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8月22日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

踏み台。僕は踏み台。

長い間続く誰かの人生の踏み台として生きている。

踏み台であることは悲しくない。踏み台であることはつらくない。言い訳じゃなくそう思う。

僕を踏み台にして、誰かが羽ばたくのが実のところ本当に嬉しいのだ。

けれど、誰も理解してくれないことはすごくつらい。

理解者ぶった他人が、踏み台の僕を見て可哀想にと優しく声を掛けるのは心に来る。

僕の生き様を誰もが簡単に否定する。

視界の狭い人のほうが可哀想だと思うのだ。

僕は今日も日陰にいる。

太陽を浴びる木々に水をやりながら。

※この物語はフィクションです

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8月21日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

人に合わせて生きている自分を、少しだけ恥ずかしく思った。

あなたの嫌いなものを、私が嫌いになる必要は無い。

私の嫌いなものを、あなたが好んでいるように。

好きにすれば良い。

それでもあなたが私を好いていることを、疑ってはいないじゃない。

ジャズは気取っているから嫌い、なんてあなたが言うから、聞けなくなってしまった。

そんなこと言ったら怒るんだろうな。

私を思って、優しさで叱るんだろうな。

あなたの華奢な手のひらが好きになった。

そんな自分を恥じていた。

※この物語はフィクションです

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8月20日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「先輩、空振ってますね」

バッティングセンターに逃げ込んだ俺を、なぜかあいつは見つけてそう言った。

「うっせ。じゃあお前やってっ、っみろよ」バットは悲しく空を切る。

「嫌ですよ。打てるわけないじゃないですか、こんな球」俺の三振を見ながら言う。「速すぎます」

「人のこと言えないじゃんか」俺は追加のコインを投入して、もう一度構える。

「言えますよ」あいつは得意げだ。「先輩に対してなら言えます」

「なんでだ、よっ」かすりもしない。それでもバットを構えるのは、何のためか。

「だって、打とうとしてるじゃないですか、ホームラン」

カーンという音が鳴って、俺のフルスイングにボールが当たったことがようやく分かる。

飛んでいった球よりも、あいつのニヒヒという笑い声よりも、痺れる両手の方が心臓の鼓動に近く感じた。

※この物語はフィクションです

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8月19日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

圧縮空気、という単語がふと思い浮かんだ。

空気を圧縮する。それをスプレー缶に入れて売るんだ。売れるんだ。

今も吸い込んでいるこの空気も、力を加えれば売れるんだ。

一昨日あたり、中学時代の友人を見かけた。

声はかけなかったけど、きっと今頃社会人なのだろう、スーツを着ていた。

あの時吸い込んでいた空気が、圧縮されたとして、僕の中学時代、吸い込んでいた空気もきっと、売れる。

あの友人、そんなに良いやつだとは思っていなかったけど、正義感の強い友人。

彼を圧縮して販売した社会。圧縮し損ねて、まだ誰かに吸われている普通の僕。

彼を見かけたとき、青菜を買いに行くただの大学生の振りをした僕のことを、きっと彼も見た。

夏の風、売り飛ばされる夏の風、吹け、吹け、なぎ倒してしまえ。

※この物語はフィクションです

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8月17日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

何もない日だった。

遅く起きて、食事をして、少しだけ本を読んで、仕事をして、買い物に行った。

少しだけ彼女とメールで話して、ふと、夢の中にいるみたいだと思った。

もう彼女はいないとか、町の外には海が広がってるとか、眼鏡を外したら荒野に立っていたとか。

そういうことを言われても、おかしくないほど静かな日だった。

疲れたなあって言って、生きるのってなんでこうもつらいんだろうって言って、俺って間違ってるなあって言った。

独り言だから、罪もない。

点滴が落ちる音で目を覚ましたい。

心電図の鳴り響く音が聞こえる気がして仕方がない。

俺はもう、誰かの心音に飢える生き方に耐えられなかった。

※この物語はフィクションです

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8月16日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

真夏の遊園地、クマの着ぐるみが日向にぽつりと立っている。

名前もない着ぐるみ。風船を持った着ぐるみは、おどけて私にさえ風船を差し出す。

夏休みなのに高校の制服を着て、ただ一人でふらふらと歩く私が哀れに見えたのだろうか。

私は誰かになりたかった。

誰にも違和感を感じられない、確固とした『誰か』に。

それはきっと、こういう形なのかもしれない。

周囲の視線を遮るかぶり物、その向こうにいる誰かの瞳が見えた。

私みたいだな、と思ってふと、私は自分の理想を恥じた。

「私はあなたにはなれないわ。ごめんなさい」

着ぐるみの手から離れた風船は、空の方へと舞い上がっていった。

※この物語はフィクションです

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8月15日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「手紙を渡されたんです」彼女は浅い呼吸のまま言う。「あなたに渡してって」

「私に?」驚いた声を上げる私。「何のために?」

演技なのだ。その手紙の差出人だけでなく、内容も、出した理由も、私は全て知っていた。

「わからないけど、受け取ってください」彼女の目は潤んでいる。「彼の頼みなんです」

そうよ。彼の頼みに決まってる。彼が騙された善良な子羊になって、私が悪い魔女になるための儀式。

頼まれなきゃやらないわよ、こんなこと。それこそ彼以外なら言いふらしてた。

ひったくった手紙に、素早く私はライターで火をつける。

彼女は泣き出しそうな顔をして、その場にうずくまる。

それでいいの。あなたとの日々は最後までドラマティックだったわ。

さよなら、愛した人。

※この物語はフィクションです

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8月14日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

炊飯器、捨てたくないなあ。

一合炊きなの。一人暮らしするときに初めて買った炊飯器。

送り出すときに私の親が唯一買ってくれた家電なんだけど、捨てたくない。

いや、君と早々に別れたときのためとかじゃないよ。思い出が詰まってるんだ。

「どんなに考え方が違ってても、黙って死なれちゃ寝覚めが悪い」ってこれだけ買ってくれたんだ。

だから、ご飯だけは必ず炊くようにしてるんだ。

男手一つで育ててくれたことになんて、全く感謝しちゃいないんだけどさ。

あの人ひどい人だしね。男女構わずとりあえず殴るしね。私にだけ甘いなんてことはなかった。

でも出て行くときに反対はしなかったんだ。ぐちぐち文句は言ったけど、自分と合わないことは分かってたんだと思う。

お父さんに君を紹介したら絶対怒るけど、炊飯器なら怒ることも無かろうって思うから。

※この物語はフィクションです

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8月13日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「誰も、戻ってこなかったよ」

墓石を清めながら俺は言う。

お盆になったというのに、東京に行った同級生たちはみな、一人として島に戻っては来なかった。

「無沙汰は無事の便り、って言うけどさ、これじゃ生きてるか死んでるかも分かんねえや」

目の前の墓石だって、中身が戻ってくるわけでもないのに。

「騙されてんだよなあ、きっと」

お盆になったら帰ってくるなんて、みんな都合が良いことを言って、騙してるだけなんだ。

「お前だって俺を騙して死にやがって、クソ」

せめて貸した本返してから死にやがれ、と墓石を蹴飛ばそうとしたけれど、バチ当たりだからやめた。

思い切ったところで何も出来ない、誰も見ていなくても何も変わらない。

※この物語はフィクションです

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8月12日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

誰かが通り過ぎていった交差点。

知らない人の命と、知っている人との待ち合わせ。

忘れ物の結婚指輪。

ガムシロップのゴミ。

重み。

心が呟いたあの言葉が耳鳴りのように離れないんだ。

助からない命を嘆くことは優しさなのか。報われなかった愛を悲しむことは優しさなのか。

ぼくはやさしくないにんげんだ。

忘れられた結婚指輪に、ガムシロップの最後の一滴を垂らして、自分の傷口を焼いたような気持ちを、思い出せ。

耳を塞いでも消えない。「優しい人になりたい」

※この物語はフィクションです

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8月11日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

彼女たちを見てると思うんだ。

生きてくってどれほど難しいことなのかってさ。

なんとなく毎日生きて、缶の発泡酒を飲んで、一瞬だけ寝るような、そんな日々は違うんじゃないかって思うんだ。

つらいけど難しくはない。

しんどいけどできないことはない。

それだけの日々を、比べるのもおこがましく感じてしまう。

必死で生きるような彼女たちの日々が正解で、きっと俺の日々は不正解だ。

そうだと誰か認めてくれ。

俺の日々を正して、連れて行ってくれ。

正しい日々に、連れて行ってくれ。

※この物語はフィクションです

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8月10日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「あの星、光ってるね」

その声はもう遠くにあるのに、すぐ近くで聞こえるように感じる。

忘れないなんて、馬鹿みたいだ。

絶対に忘れないと信じるのも馬鹿だけど、本当に忘れられないことの方が大馬鹿だ。

なんで、忘れられないんだろう。

空を見る度に探してしまう。

声の宛先を探してしまう。

あの声の気持ちに、たどり着かないといけない。

たどり着くまで、歩かないといけない。

今日もあの星が、光るから。

※この物語はフィクションです

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8月8日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

ずっと、夢を見ていたような気がしたんだ。

大きな怪獣は町の人たちを踏み潰して、僕は何も出来ずに部屋の中でうずくまっていた。

そんなとき、君は現れて、僕に力を与えたんだ。

僕はその力で怪獣を倒して、町を危機から救う。

そういう物語なんだとばっかり思っていた。

初めから怪獣なんていなかったのだけど。

僕に力なんて無くて、町を危機から救ったりもしなかったんだけど。

「よかったじゃん」君は日差しを一身に浴びて言う。

「俺、お前がスーパーマンだったら友達じゃなかった。友達じゃなくて、従者とか、使い魔とかだったと思う」

差し出されたサイダーの缶はすごく冷たくて、取り落としそうになった僕を見て君はにやりと笑った。

※この物語はフィクションです

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8月2日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

どういう仕組みで、あなたは私を信じたのかしら。

私は最初から自分の望むことしか言わなかった。

あなたのことが好きだったのだって、ほんとよ?

それは、今好きじゃないことと矛盾しないでしょ?

あなただって、私の内面なんてこれっぽっちも見ようとしなかったくせに。

見せてくれなかったとか言い訳しようとするのは本当に嫌になる。

私が一度でも信じてなんて言ったかしら。

私のことを否定してくれる頃のあなたなら好きだったわ。

肯定してくれる人が嫌いなんて、なんでこんなに難しい性格になっちゃったのかしら。

最後まで信じさせてくれればなんて、信じさせようとすらしてないのに。

※この物語はフィクションです

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8月1日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

病室の窓辺に響いた通告の音を僕は忘れない。

集合体だと思っていた僕らは、僕になって、いつしか個体としての日々を描くことになった。

君といた記憶は夏ばかりだ。

ずっと一緒にいた気がするのに、夏のことばかりが思い浮かんでしまうのだ。

青になる前の信号機。

低く飛んでいく飛行機の音で聞き取れなかった声。

君に一瞬触れた手を、緩く否定されて一年後。

君のいない夏が始まる。

青空、飛行機雲、蝉時雨、夕立。

今年を、最高の夏休みにしよう。

※この物語はフィクションです

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7月31日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

このたい焼き屋を始めて、もう三年目になるらしい。

桜通りの土地は高い。サラリーマン時代の貯金がなければ開店さえままならなかっただろう。

もともとは妻のため、いずれできるかもしれない娘や息子のため、新居や学費のためのお金だった。

今ではちっぽけなたい焼き屋を潰さないためのお金になっている。

遺されたものが何をすれば良いのかなんてわからない。

餡子をこねることが、生地を焼くことが、妻のためになるなんて到底思えないのだが、なぜだろう。

忘れたかったのかもしれない。

永遠を誓った相手にさえ満足に接してやれなかった自分を、消し去りたかったのかもしれない。

頭を刈って、コンタクトをつけて、バンダナを巻いて、したこともない接客業を始めて、何が変わったというのだろう。

「いらっしゃい、今日も暑いな」饒舌になった口は、自分の気持ちを隠すようで、無口な頃と何も変わらない。

※この物語はフィクションです

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7月30日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

眩暈のような明滅。

切れかけた蛍光灯の下で、僕は人を待っていた。

彼は待っている僕のことを笑うのだろう。

待つことしか能の無い馬鹿だと言ってけなすのだろう。

そう言いながらも彼は必ず来てくれることを僕は知っている。

彼が来たら昔の話をしよう。

まだ僕らが子供だった頃の話をしよう。

彼は必ずやってきてくれるから。

空から槍が降ろうが、ミサイルが降ろうが、彼は必ずここに来る。

蛍光灯は遂に切れた。

※この物語はフィクションです

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7月29日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

死んだ人は、成長しない。

連続して増加していたその人は、連続して減少するその人になるのだ。

零に向かう漸近線を、永遠に下り続けることになる。

下がっていく漸近線を、灯火の消えたあとの暗順応を、僕は見た。

輝きの残滓が、僕の視界を揺らした。

漸近線は零にならない。

彼は死してなお、生ける人を惹き付けるのだ。

漸近線は全ての人が残す最後の罪だ。

今日、今ここで死んだとしたら、今日の日は永遠になるのだろう。

今日の日を終わらせるために、今日の日を生きてやる。

※この物語はフィクションです

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7月28日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

夏休みについての言説がいろいろと出回っていますが、みんな好きにすれば良いと思うのです。

問題なのは押しつけがましい人で、他人に強制するからおかしなことになるんですよね。

そんなわけで夏が来ました。

私は次の資格試験に向けて順調に勉強を進めています。

キュウリの収穫も順調で、一つも実らなかった去年とは大違いです。

農家の家に育ったのに仕事を手伝わなかったことを今になって後悔し始めました。

お盆には帰れますが、帰っても友人たちはいないんだなと思うと寂しいです。

それでも早く帰って、畑の様子を見たら安心できる気がするのです。

東京は臭くて汚いところだとばかり思っています。

東京に生まれた人は帰るところがなくてかわいそうだなあなんて思うので、今は田舎出身であることが誇りです。

※この物語はフィクションです

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7月27日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

現実は砂糖菓子ほど甘くはない。

天気予報でも外れるのに、素人の俺が当てられるほど甘くはない。

そんな苦い衝突が、住所を同じにしてから少し増えた気もする。

君への失望とかよりも、自分への失望が多いのかな。

自分がこんなにテキトーな人間だとは、思っていなかったのだ。

そんなわけで今日も出ていった彼女を、しばらく探していたら夕方になっていたのだ。

夕日が伸びていて、曲がり角の先に見えた影が、君の形をしている。

角を曲がってきた君が、なんだかキラキラして見えて息が止まる。

「探したんだぞ」

たまに甘くなる現実の方が、自分をここに引き留めている気がする。

※この物語はフィクションです

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7月26日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

昔から、隠れるのが苦手だったんだ。

かくれんぼをするときは、いつも真っ先に見つかってた。

うまく隠れたつもりになっていても、どこかが陰からはみ出していたらしい。

お母さんと喧嘩して、家出したときも、最初の一言はいつも同じだった。

『あんたの行き先なんてお母さんが分からないわけないんだからね』

私って、そんなにわかりやすいのだろうか。

「探したんだぞ」

角を曲がった先に、息を切らした君が立っていた。

「えへへ、うまく隠れられるようになってたかな」

少しだけ不器用なごまかし方だけど、帰ったらそんな昔話をしてみよう。

※この物語はフィクションです

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7月25日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

ビルの隙間から見える空は、今日も青かった。

きっと、今日が終わっても、夏が終わっても、今年が終わっても、晴れた日の空は青いままだ。

青い空を見られる誰かと、青い空を見られなくなった誰かがいるだけで、空が青いのは変わらない。

町中の至る所から警告音が鳴り響く。

この都市の命がもう長くないことを知る。

明日の空が青いことを知る君は、あと数秒で消えるこの町とこの数々の命を知ってもなお生きる。

僕の顛末を知って、君は悲しむかもしれないし、なんとも思わないかもしれない。

明日、空が青かったら、明後日、空が青かったら、一週間後、一ヶ月後、一年後、十年後、空が青かったら。

少しだけ諦めて、あと数日だけ生きて欲しい。

誰かが祈った僕の生を、今度は僕に祈らせてくれ。

※この物語はフィクションです

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7月24日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

違う名前で呼ばれることに、慣れたくない自分がいる。

慈悲の心とともに差し出されるミルクを、なめたくない自分がいる。

あのおじいさんも、あのおばあさんも、哀れんだ目で僕を見て、自分の方が偉いと思っている。

そんな人とあの人を比べて、自分の境遇を考えてしまう。

三年前、夕立の中、箱に入れられた僕はあの人を待っていたかのような気がした。

「名前をつけてあげよう」

その人は、優しい声で言った。 

僕を捨てたのはあの人なのに、僕の名前はあの人のつけたものだけしかない。

「今日からうちの子になるんだよ」 

夏なのに冷たい手が、恋しくてたまらないのだ。

※この物語はフィクションです

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7月23日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

あの人は最低な人だった。

いつも小汚い服を着ていて、甘いものが大好きな、子供みたいな人。

初めてのデートの時、真夏なのにだだっ広い公園に連れて行かれた。

夕立に逢って、小さな折りたたみの相合い傘で、二人ともびしょびしょに濡れていた。

それでも楽しそうに笑うあの人の顔を見ると、どうでも良くなってしまうのだった。

「それが恋ってやつだよ」

記憶の中であの人が偉そうにふふんと鼻を鳴らす。

「ほら、君も笑ってる。それが恋だ」

目の前でアイスコーヒーを飲み干すあなたに、彼の話をしたらきっとふてくされるんだ。

そんな姿を想像しながら笑う私は、きっと恋をしているんだよ。

※この物語はフィクションです

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7月22日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

蝉の声を今年になって初めて聞いたのは、あの子に会いたくなかったからだ。

学校の帰り道、あの子の家の前を通らないように、公園の中を通り過ぎる。

公園になんて滅多に来なかったから、蝉の音さえ忘れていた。

あんなにうるさく、何が悲しくて蝉は泣くのだろう。

どうしても聞いて欲しくて、あの子に電話をかける振りをした。

「君に蝉の声を聞かせたいと思ったんだけどさ」

「けど蝉がうるさすぎて君の声のほうが聞こえないや」

「えへへ、ごめんね。ありがとね」

何が悲しくて、蝉は泣くのだろう。

僕の中の蝉時雨。

※この物語はフィクションです

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7月21日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

今年になってからお姉ちゃんが少しだけ優しくなったことに、彼はどれくらい気づいているのだろう。

まだ拙いピアノの旋律は、春と比べて大分うまくなった。

それまでは真面目に聞いた事なんて無かった。

私にとって高校生活最後の夏は、彼にとっては最期の夏。

受験勉強をしないといけないと思っていても、ピアノの音を聞いてしまう。

彼だけじゃない。家族みんなにとって最後の夏なのだ。

少しずつ上達していく音色は、あるところでもう上達することはなくなる。

蝉時雨が騒がしいのは、短命だからなのかもしれない。

その蝉時雨を、彼はいつものようにうるさいと思いながら聞いて、ある日を境に聞くことができなくなる。

ピアノの音を聞きながら、一瞬で過ぎてしまう夏を考えている。

※この物語はフィクションです

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7月20日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

昔から、一番欲しいものは手の届かない場所にあった。

限定衣装のお人形は、買ってもらえないまま。

本当に欲しいものの前で良い子でいてはいけないと、代わりが用意できなくなってから気づくのだった。

そんなことを思いながら、私は彼女の背中のファスナーを閉める。

私の欲しい気持ちは、いつも遅れてやってくる。

「どう? 私綺麗に見える?」

ええ。とっても綺麗よ。世界で一番綺麗。

どうして、欲しかったと思うものほど、手に入れられないのだろう。

気づくと私は、後ろから彼女を抱きしめていた。

「ありがとう」と、そう言う彼女の声が一番近くで聞こえて、私は彼女のドレスを汚してしまうのだ。

※この物語はフィクションです

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7月19日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

宣告された期日は、もう過ぎてしまった。

それでもその子は遊びに来ていた。

現実を告げるのには幼すぎる彼女。

僕の手が動かないのを見て、それでも笑う僕に何を思ったのだろうか。

さほど長くない人生の中で、誰かの死を経験することはあった。

彼女のまだ短い人生の中で、この瞬間はどのように映るのだろう。

「元気になったら、また遊ぼうね!」

無邪気な声は確かに、僕の中の終わりかける命を響かせる。

その声が吸い込まれてしまいそうな青い空の下、彼女がいるのが遠くに見えた。

その姿を見下ろした僕は、あらん限りの力を込めて、できるだけ大きく手を振った。

※この物語はフィクションです

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7月18日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

インスタントは嫌いだった。

買い物に出られなくて、仕方なく三分間を待っている。

この部屋に傘はない。

あの傘は、君のものだったから。

健康を気遣う相手がいなくなって、その置き土産は、著しく不健康だった。

小言ばかりの私。それでもトマトは食べられない私。不完全な私。

「私の料理、下手だったのかな」

料理が上手ければ、洗濯を毎日やれば、掃除をサボらなければ、小言が少なければ。

「傘、買っとかないと……」

雷の音が鳴って、耳をふさいだ自分が、心の底から大っ嫌いだった。

※この物語はフィクションです

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7月17日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

僕の原材料はプラスチックで、プラスチックを固めたのが僕。

お菓子のおまけでついてる戦隊ヒーローのロボットのおもちゃ。

超合金じゃないし、百円程度なのにお菓子の方が主役だ。

もっというと僕は、ロボットよりももっとかわいいものの方が好きだった。

なるんだったら手鏡とか、コンパクトとかになりたかった。

僕を買った君。僕をこっそり買い物かごに入れてバレないことに成功した君。

僕にとって唯一の君は、きっと僕が手鏡だったら買ってない。

超合金だったら出会えていない僕は、自分が百円でよかったと心の底から思う。

もし誰かが僕を知ったら、君に縛られてかわいそうだと言うのかな。

そんなふうに君をおとしめるようなやつは、僕のロケットパンチでやっつけてやるから。

※この物語はフィクションです

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7月16日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

僕の記憶力なんてすごく悪いからさ、君がいろんなことを忘れちゃっててもおかしくないと思うんだ。

僕が告白をしたときのこと。君は最初薄く笑って、それからはにかんで、全てを理解したみたいに笑ったんだ。

記憶力が悪くても、僕はあの時のことは忘れなかった。

人間の顔は皆同じように見えてたけど、君の表情だけは数え切れないほど在るんだなって思えた。

炎天下の中会社から家まで歩いたことも、忘れちゃってるのかな。

汗ベッタベタでさ、それでもタクシーを呼ぶ金なんてなかったから、しりとりしながら歩いたんだ。

君とお別れしたとき、青い空が綺麗で、崖の方を向いた君がこっちを振り返って言った言葉、聞き取れなかった。

君を幸せにできなかったこと、申し訳なく思ってたけど、なぜか君の選んだことが間違ってたとは思えないんだよ。

天国には季節なんてなくて、常に適温なんだろうな。

覚えてる? 夏が暑かったこと。

※この物語はフィクションです

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7月15日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

鏡に触れたら、向こう側の僕と手が触れた。

冷たいガラス質の僕が、少しずつ暖まっていく。

僕がガラスの向こうの僕を見ると、ガラスの向こうの僕も僕を見る。

黒い目がこちらを見ている。

向こう側の僕がにやりと笑ったのを感じた。

自らの頬を触り直す頃にはもう向こう側の僕は笑っていなかった。

深夜二時、水の音だけが響く洗面台。

執拗に瞬く蛍光灯と、呆然とたたずむ僕。

鏡に映っているのは誰でもない、ただの光の起こした錯覚。

その錯覚は、なぜかたまに自分をあざ笑っているように感じるのだ。

※この物語はフィクションです

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7月14日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「汗、ベットベト」

彼女はそう言うとスカートをの裾をパタパタと振った。

「ちょっと、女子高生」

「暑いんだから仕方ない」

なーと言って首を傾げる彼女の額にデコピンする。高校に着くまでここからあと二十分。私だって我慢しているのだ。

「温暖化進みすぎにもほどがあるだろー」

「仕方ないでしょ。諦めたんだから」

地球温暖化に白旗を振った各国の皆さんは、もうこれからひたすら地球を食い潰すことに決めたらしい。

「こうやって外に出てられるのも私らが最後かもしれないな」

見上げた真っ青な空の真ん中を、大きな音とともに飛行機雲が引き裂いて行った。

※この物語はフィクションです

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7月13日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

信号が青に変わるまでの間。

君は黙っていた。

僕はただ、君が話し始めるのを待っていた。

長すぎる日はこの時間になっても僕らを夜に落としてはくれない。

影が見えない程度の暗さの中、空だけが妙に明るい。

風が吹いて、目にゴミが入ったのか、君は袖で顔を覆う。

そのまま、君は顔を覆ったまま、そのまま。

僕は何も言わない。

ゆっくり変わった信号を見て、僕は人混みとともに歩き出す。

信号が青に変わるまでの話。

※この物語はフィクションです

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7月12日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「冷房、つけようか?」

「いい。そのままで」

少しだけ冷えた自然な風を、楽しんでいたかったのだ。

夜の帳を下ろした後の、透き通った闇。

その中に、いくつもの明かりが浮かんでいる。

その中にきっとこの部屋もあるだろう。

僕はこの部屋だけ掬い上げて、重りをつけてからずっと深い夜の底に沈めてしまおうと思う。

聞いて欲しいことがあったから、そんな風に言ったら、夜が明けなくなっても君は許してくれるだろうか。

「何書いてるの?」

「んー、君と話してることとか」

※この物語はフィクションです

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7月11日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

穴を掘るだけの日々が続いている。

明けない夜はないなんて、誰が言ったんだろう。

土の中を照らす太陽はない。

「太陽がないなら、作れば良いじゃないか」

無責任な誰かが、言うだけ言った言葉だが、そいつが今何をしているかは知らない。

昔の人は、強すぎる光に怯えて土の中で生きることを選んだ。

その光に照らされて死んでしまうなら、その方が良いのかもしれないと、今の俺は思える。

誰も土の中から出ようとはしない。太陽を作ろうとなんて、これっぽっちも思わない。

ただ、死なないように深い深い穴を掘っている。

夜明けを照らす光が、来る日を待ちわびながら。

※この物語はフィクションです

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7月10日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

窓の外、カーテンを開いたその先に、探すまでもなく視界が捉えた月。

こんなに見られているように思えるのは初めてだ。

明るく、丸く、大きな月。

月が巨大なのぞき穴のようだと思うほど、その月はこちらを見ていた。

夜の町の喧噪は遠くにあり、騒がしさが在ることだけしかわからない。

俺を見ているのは月だけだ。

手に持ったナイフを月に向けて掲げる。

月が傷つけられたかのようにナイフから血が滑り落ちて、それでも何も変わらない月を気持ち悪いと思った。

後ろから、聞こえなくなったはずのうめき声が聞こえたので、俺は高笑いを響かせながら飛びかかって刺した。

「俺は狂人なんだ。仕方ないだろう?」と、そんな言い訳の中身さえも見られているように思えて、必死で腕を振った。

※この物語はフィクションです

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7月9日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

暗くなって、音が止んで、歓声が止んで、また光って、音が鳴って、また歓声が響く。

そんな風景が、花火みたいだと思いました。

俺は今、その歓声の間にポツポツと言葉を残してるんです。

電車の中でも、喫茶店でも、どこでしゃべってても、俺の言葉を胸に残してくれる人なんてそうそういないと思います。

それでも、今、ここでしゃべった言葉は、みんなが一生懸命聞き取って、意味を解してくれる。心に刻み込んでくれる。

俺は、もしかしたら曲や演奏だけじゃなく、ここで作られる全ての記憶のために歌ってるのかもしれません。

花火だって、そうじゃないですか。

光っている瞬間を作るためじゃなく、心に残る記憶を作るために打ち上げてるのかもしれない。

曲、演奏、歌、それ以上の記憶を作るために、俺たちはここに立ってます。

次の曲です。聞いてください。

※この物語はフィクションです

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7月8日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

白い服が、汚れるのは嫌だって、あれほど言ってたよね。

そんなに汚しちゃって悪いなあと思う。

こんな時なのに、思い出せるのがそんなことで。

僕が君の白いシャツに醤油を飛ばしたことくらいしか、思い出せなくて。

あのときはまだ出会ってから半年も経ってなかったんだ。

ぼくがいくら謝って、クリーニング代を出そうとしても、君は暗い顔のままいらないってくりかえした。

ぼくはいまだに悪かったなあとおもってるんだ。

だからさあ、もう泣くのはやめておくれよ。

「もうそれ以上しゃべらないで」

ああ、また血がつくのに、そんなに、抱きしめて。

※この物語はフィクションです

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7月7日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

織姫様、彦星様。

今日の七夕は曇り空だったそうです。

天の川どころか、星一つ見えなかったんだと思います。

押し入れの中からでは、あなたたちを見ようとすることすら叶いませんでした。

それでもお願いがあるんです。

短冊に書けない願い事でも、百回唱えたら叶えてくれますか?

もし、あなたたちが結ばれたら、もし、あなたたちが結ばれて、子供が出来たら。

どうか嫌いにならないであげてください。

大好きな人に嫌いだって言われるのは、みんなつらいと思います。

このお願いを、どうか忘れないでください。

※この物語はフィクションです

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7月6日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

夏の夜風で靡いた髪を小指で流す姿を見ていた。

「綺麗に生きる人は嫌い」彼女はそう言った。彼女の脳裏には僕のことがまだ残っているようだった。

決して綺麗に生きていたわけじゃなかったと思う。残酷なことだってたまにはしたし、悪いことだってたくさんした。

けれど、その死に様はあまりに普通の人じみていた。

まるで、綺麗に生きていたと思われても、何もかも綺麗だったものにされていてもおかしくないと、僕は思った。

「俺は綺麗になんて生きられないや」そう言った彼は何も知らない。

僕のことなんて知らない。彼女の愛した、彼女を愛した人がいたことなんて知らない。

ただ、僕はそれで良かった。

彼女に寄り添う人がいてくれることが、そっと手を握る人が隣にいてくれることがうれしかった。

夏の夜風に僕のにおいは混じらない。今の彼女に僕の奇跡はもう必要なくて、それが奇跡だと思えてしまうほどだった。

※この物語はフィクションです

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7月5日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「おじさん、これで、いいの? おばあちゃん、死んじゃうよ?」

泣きそうな少年は、目の前のことが理解できない理由を未熟さのためだと信じようとしていた。

「仕方なかったんだよ」

私は少年の手を強く握りしめる。

目の前で炎に包まれている屋敷の中、老婆が一人で逃げられないことは分かっている。

「いいかい、これは二人だけの秘密にしよう」

私は悪を注ぐ。少年という器に真っ黒い廃油のような悪を注ぎ込む。

「君がおじさんとまだ一緒にいたいなら、誰にも言ってはいけない」

ああ、私怨の果てを見たこの子は、一体どんな風に育っていくのだろう。

君は悪くない、とそう言う私にも優しさが存在するということを、この子はどう受け止めてくれるのだろう。

※この物語はフィクションです

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7月4日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「変わってしまったよね、あなたも」隣のベッドで眠る彼は、安らかだった。

わたしはベッドの左に置いてあったスイッチを切る。

こんなに不用心に置いておくなんて、わたしみたいな人は今までいなかったのかしら。

少しずつずれ始めた世界で、絶対的な価値となった幸福を、追い求めない人は異端になった。

幸福につながらないことは誰もしなくなったし、反対に幸福につながることは誰もがした。

電気の送られなくなった人工臓器の動きが止まり、だんだんと体液の循環が悪くなるのを感じる。

わたしは、幸福の保障された未来を、今この手で自ら退けた、異端だった。

わたしが、これからどれだけ幸せに生きられるとしても、少し意地悪いあなたのほうが好きだった。

それでも、これから訪れるあなたの幸せを、わたしは邪魔しないから。

おやすみ。せめていい夢を。

※この物語はフィクションです

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7月3日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

二十三世紀が来て僕は、まだ僕が生きていることが信じられなくて。

宇宙飛行士は空に行ったよ。僕は身体の都合で空には行けないけど、疑似飛行は楽しかった。

君が言うとおり、お肉は高級品になった。でも人工肉もそんなに悪くないんだ。技術はすごい。

擬似的に雷を起こす法案を国会が可決させたんだ。なんでも、夏を感じたいらしい。君は雷が苦手だっただろう?

もっとも、今の君には怖いものなんてないんだ。そういうふうにセットアップされたから。

僕はというと怖いものだらけさ。自分が死ぬのもこわい。二百年経っても君みたいにはなれない。

むしろ君のほうが怖がりだったのかもしれない。恐ろしい犯罪も増えたし、君が怖がってた虫は今じゃ普通にいる。

ああ、話し相手になってくれる方の君のデータセットは古いままだった。あとでアップデートしておくね。

たまには手紙を書くのもいいと思う。大学の頃のシャーペンまだ使えるんだよ。芯が貴重なんだけど。

二十三世紀が来て、僕はまだ、君がいないことが信じられなくて。

※この物語はフィクションです

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7月2日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「俺、今日で死ぬんだってさ」

あっけらかんとした口調。今日の給食が鯖の味噌煮だって言うくらいのトーン。

「占い師が言ってたんだ。うちの母ちゃん毎週占い師のとこに通っててさ、百万出さないと俺今日死ぬんだって」

彼はそう言うと持っていた虫取り網をくしゃりと振った。

「なんだ、ただのバッタだ」

「それで、ほんとに死ぬの?」

「うん。死ぬと思う。母ちゃんが死ぬって言うから死ぬんだろ」

彼はバッタを器用につまんで持ち上げる。彼が殺そうと思えばすぐに殺せる。

「旅にでも出ようかなあ。一日だけ。楽しそうじゃね?」

顔を縦に振った僕を見て、彼はシシシと笑ってバッタを逃がした。

※この物語はフィクションです

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7月1日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

夏、新興宗教。

花火に興じる若い男女の絵を、新手の宗教画として見るのはどうだろうか。

「夏には刹那的に楽しめ。そうでなくては夏ではない」という啓蒙じみた態度が透けて見えるのだ。

その思考が少数を救い、大勢を苦しめていることに人々は気づきもしないだろう。

夏を正せ。

楽しいだけが夏なら、どうして今苦しんでいる?

一瞬の煌めきだけが夏なら、どうしてこの苦しみは終わらない?

夏を正せ。

苦しみに終わりはなく、元より夏も四分割された一年の一部に過ぎない。

火薬のにおいが鼻に刺さった。

※この物語はフィクションです

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6月30日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

雨が降って、じめじめして、春にしては暑すぎて、夏にはまだ遠い。

つかず離れずの梅雨空は、他の季節より切なくて、胸が痛い。

私も少しずつ大きくなって、彼も少しずつ大きくなった。

昔はもっと違うところが好きだったなあと思うと、なんだか寂しくなってしまう。

自分に嘘をつきながら生きていることに、罪悪感はない。

得られているものは大きく、繋がれた鎖は重かった。

それでも、またあの時のように笑えるなら。

本当に起こることのように、何かに素直に祈れるなら。

どうか、変わらない空模様を。

てるてる坊主に願いを込めた。

※この物語はフィクションです

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6月29日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

この声は、あなたにしか聞こえないように、こっそりつぶやく。

夜に溶けてしまったこの町で、まだ溶けていないこの部屋の、隣に眠るあなたまで。

遠くから響く汽笛の音は、夜の町をぼおっと通り過ぎる。

街灯の明かりは、夜の水面を照らすようにふわふわと浮かんでいる。

この部屋にも、少しだけ遅い夜が来る。

眠ってしまったあなたの上の、ヘッドライトをカチリと押そう。

明かりが消えたら、この部屋にも夜が来る。

終わってしまった今日を水に浮かべて、さよならをするための言葉。

「おやすみなさい」

あなたにしか、聞こえないように。

※この物語はフィクションです

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6月28日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

口に出した君への言葉に、甘さを感じなくなってしまうほど。

恥ずかしげもなくそんな言葉が口に出せてしまうほど。

それくらい、二人はそばにいたらしい。

「月が綺麗だ」君は空を見上げて言った。

「ありがと」私はベランダに立つ君を見上げて言った。

一瞬で理解してくれた君は、「どういたしまして」と振り返って笑顔で答える。

甘いものを食べながら、オレンジの甘さを感じないこと。

それでも甘いとわかるようなオレンジはきっと、普段食べたら死んでしまうほど甘い。

壊れてしまった味覚を、少しだけ楽しむようなトッピング。

君の目に映る三日月に、そっと生クリームを添えて。

※この物語はフィクションです

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6月27日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「なんだ、やけに元気そうじゃねえか。どうした」と、おじさんのほうはやけに心配そうに尋ねる。

「私が元気じゃ何か問題でもありますか?」と、私もわざわざ鼻をふふんと鳴らしてアピールする。

おじさんは明らかにうろたえた様子だ。「なんか、お前さんがそこまで元気だと気持ち悪いなあ」

私が元気なのは当然だ。おじさんは遂に試作品のたい焼きを私に食べさせてくれるようになったのだ。

「なんだその、そんなにうまかったか。ハムチーズ」その言葉に私はぶんぶんと頷く。

「私、お昼食べてないんですよね。だから余計」向こうを向いて仕事をしていた顔が驚いて振り向く。

「私が毎日そんなに食べてると思ってましたか? そんなに大食いじゃないですよ」おじさんはあきれたような顔をする。

「なんだ、昼ぐらい食え。何なら昼飯になりそうなたい焼き、もっと考えてみるわ」

「私のためのメニューが作られるんですね!」私は精一杯のキラキラした目でおじさんを見つめる。

「客のためなら当然だろ」照れているおじさんを見られるのも私の特権だと思えてニヤニヤしてしまう私だった。

※この物語はフィクションです

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6月26日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

日が伸びて、日没が遅くて、それだけ。

話題にしようとも思わない。

今の僕らに、当たり障りのない会話は要らない。

僕が速く歩けないのに、君は気づかず行ってしまう。

僕は引き留める言葉を持たない。

きっと、ここまでずっと前振りだったんだ。

僕を見限った君が、どんなに僕がひどいやつだったかを次に会う人に話すためのプロローグ。 

僕が君を追いかけなかったこと、僕のせいにすればきっと楽しいよ。

君が角を曲がって、見えなくなって、それだけ。

僕が角を曲がるのをやめて、手前の本屋に入って、それだけ。

※この物語はフィクションです

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6月25日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

友人の父親は、ゲームショップで働いていた。

小学校の頃のことだ。顔も思い出せない。

それでも、ゲームを売ってるお店だと聞くだけでなんだか楽しそうで、大変そうな自分の父親と比べていた。

まあそのゲームショップが潰れたのは、意識に上らないくらいには前のことなのだけれど。

靴屋になったそのゲームショップの前を通って、そういえば彼の父親は今頃何をやっているのだろうと考えた。

転職して違う仕事に就いているか、他の店舗で働かせてもらっているのか、そもそも他に店舗があるのか。

野次馬のおばちゃん程度の感情移入しかできない。他人の辛労を感じることはできないのだ。

髪を切った。

重かった髪は軽くなって、重かったんだなあと思ったのもつかの間、どれくらい伸びていたかさえ忘れてしまった。

人間の記憶装置のバグは、その人間を生かすためになくてはならないものになってしまった。

※この物語はフィクションです

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6月24日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

どうやら僕は心臓という言葉が好きなようで、言葉に迷ったときはことあるごとに心臓と打ち込んでいる。

心臓が痛むとか、心臓の鼓動に合わせてとか、心臓を貫かれるようなとか、まあ心臓関連の単語が増えた。

小さい頃、僕の心臓はどこにあるかすぐ分かった。

肋骨の奥でヒクヒクと動くのが見えたから、そこにあるんだってすぐに分かった。

僕は頻繁に鼻血を出すから、血液に対する耐性もそれなりにある。

思いっきり作ったようなグロ画像は苦手だけれど、手術の様子なんかは苦もなく見ることができる。

僕は自分が人間であることを実感している。

生きている誰かの姿があまり人間に見えないのは、その人が自分と異なるからなのかもしれない。

人間らしくない人の方が好きになるのは、自分と異なる人を無意識に求める遺伝学的習性なのかもしれない。

僕は自分が人間であることを実感している。

※この物語はフィクションです

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6月23日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

少女漫画を読んだ。

最初は、読む気なんて更々なかった。ただ、読めと言われて仕方なく読んだ。

感情移入もなかった。ただ淡々と読んだ。高校生同士の恋愛に何の羨望も未練も無かった。

読めと言われなかったら絶対に読まなかっただろう。それくらい興味を持たずに読んでいた。

一瞬だけ、そこに自分が見えた。

どこにでもあるような漫画の中に自分を感じた瞬間、「ああ、これが恋か」と思えた。

彼は恋をしていて、その瞬間僕は、彼の恋が理解できたのだった。

誰にも理解されない気持ちを共有できた彼は、確かに僕に微笑んだ。

どこにでもあるような、そう形容されてしまう彼らの物語が、確実に世界を描いた瞬間。

なんだか気持ちがふわふわとして、誰にでも優しくできそうな、そんな気がした。

※この物語はフィクションです

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6月22日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「あれ、夢だったんだ」

呟いたセリフは夜道のぬるさに沈んだ。

自分が事実だと思っていたものは、思い込んでいただけであった。

ただの夢なのであった。

その内容と言えばかなりどうでもよいもので、それが夢だったところで別段変わったことはない。

ただ、夢と現実の区別が曖昧だとひどく知らされた。

この現実も、夢であるかもしれないし、僕が信じていた現実も、夢だったのかもしれない。

「何が夢だったら良かったかな」

苦しい現実のどの部分が夢だったら、今がもっと明るくなるだろうか。

言うだけ無駄なのだろうけど、呟いてしまう自分がいる。

※この物語はフィクションです

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6月21日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

昔、自分を助けてくれた人が、自分のことを普通の人だと言っていた。

僕は、その人を神様だと思っていた。

その人は、明らかに普通ではなかった。

僕より優れていて、非の打ち所がない好青年で、僕は彼を妬ましいと思った。

僕は劣っていて、彼よりも悪いところをたくさん持っていた。

ある日、僕の口からこぼれ落ちた愚痴を、彼は拾い上げて言った。

僕の褒められるところをこれでもかと言うほど挙げていった。

その場で僕はいい気になって家に帰った。

後から思い出して、僕は自分の劣等を知った。

敗者のレッテルを貼ったのは僕でも、それを刷ったのは神様だと罵りそうになって、レッテルを口に貼り直した。

※この物語はフィクションです

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6月20日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

彼が未だに私の家に謝罪に来るのには、理由があるそうです。

なんでも、彼がひき殺した少女の顔が忘れられないからだとか。

最初は素直に律儀な人だと思われていたのに、何度も謝罪に来るから、最近では気味悪がられてしまっています。

菓子折さえ受け取ってもらえない始末になりました。

実は私も、その顔が忘れられないのです。

狙い澄ましたような目。

思い通りの展開につり上がる口角。

一瞬のうちに痛みに歪む表情。

フロントガラスに映った私の顔を、私は忘れることができないのです。

謝罪すべきは私の方なのになあと思いつつも、軽い身体は暢気にふわふわするだけでした。

※この物語はフィクションです

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6月19日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

実家の梁に頭をぶつけた。

ジャンプしても届かなかったはずの梁が、こんなに低く感じるとは。

小さかった俺はもっと背が高くなるように努力した。

背が高くなって見えた世界は、不条理で、非倫理的で、妙にシステマティックで、狭かった。

手が届いてしまえばあっけないもので、魅力的に映るものがどんどん減っていく。

それが確かに悔しい。

俺の部屋に未だ似合った宝箱の中は、ガラクタであふれていた。

ここだけ昔みたいで、ここに入れておけば昔に届けてくれるような気がした。

大学の学生証でも入れようかと思ったけど、今の俺にはまだ必要だったからやめておいた。

というより、彼が求めていたのは不確かな未来で、予言とは違うなって思ったから、やめておいた。

※この物語はフィクションです

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6月18日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

「たい焼き、五つください」私はできるだけ低い声で言う。

「いらっしゃい、中身は何にします? 五つだと餡子と餅入ったやつと抹茶とチョコとカスタードがおすすめですね」

おじさん、やっぱりそれをおすすめしてくれるんだ。私は目深に被った帽子の中でうつむく。

「じゃあ、その組み合わせで」手に持った六百円、ずっと使えなかった六百円をレジの横に置く。

「お、女子大生」私の手に気づいたようで、おじさんは話しかけてきた。「なんだ、別れたのか」

「別れた?」首を傾げた私におじさんは、「なんだ、男でもできたんじゃないのか」とケロリと言う。

人の気も知らないで、そう思いながら私はその話に乗っかる。「男って最低ですよね、全く」

「まあ、たい焼き食って元気出しな。ちょっと餡の味変えたんだ。試してみてくれ」話すおじさんは何も変わらないまま。

ほんとに男って最低だ。私は帽子を脱いで頭を振る。

久しぶりに食べたたい焼きは、餡の塩味が前より利いてて新鮮だった。

※この物語はフィクションです

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6月17日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

大急ぎで向かう最寄りは、いつもより少しだけ遠く見えた。

千鳥足の酔っ払いや、うつむいたサラリーマンの群れに逆走していく私。

躊躇いは微塵もない。

あなたにとっての大切は、私のことじゃなかったけれど。

誰かにとっての大切が、あなただって知ってくれたら、何か変わるかなって思ったから。

戸惑っていたら届かない。

迷っていたら、あなたの元まで届かない。

あなたの言う最高の友達は、最高の友達であるために坂を駆け下りています。

あなたの最愛の人が裏切ったとしても、最高の友達は一線を越えずにただあなたのそばにいたいと思うのです。

終電、間に合え。

※この物語はフィクションです

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6月16日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

砂浜で、透き通るような水色の石を拾った。

キラキラとしたその石は、パレードを氷のなかに閉じ込めたようだった。

あの夏、五年前の夏が氷漬けになったのだ、と私はとっさに思った。

私たちが高校生だったあの夏。

『奇跡』を追い求めてひたすら走り回ったあの夏。

お寺の境内で私たちが見つけた、『奇跡』と呼んでも遜色のないその風景は、やっぱり奇跡だったんだ。

氷漬けにされてしまうほど、誰かに見つかってはいけないものだったのだろう。

それくらいあの夏は、綺麗で、誇らしくて、秘密だった。

一度は拾った水色の石を、私はそっと波打ち際に置いた。

手に持ったままだったら、いつか忘れてしまいそうだと思ったから。

※この物語はフィクションです

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6月15日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】 

見慣れた暖簾をくぐると、いつもの店の半分が大学生集団で埋まっていた。

それでもいつもの俺の席が空いているのを確認して、店長を少し見直した。

「いらっしゃい」と、店長が奥から顔を出す。

その顔が『先輩の草履暖めておきましたよ』と言わんばかりの秀吉顔だったので、見直したことを若干後悔した。

「豚玉とビール」それだけの簡素な注文でも笑顔で受けてくれる。店長との付き合いは、もう十年じゃきかない。

店に活気があるのは店長にとっては願っても無いことだろう。

大学生集団は酒を飲まないようで、それでもまあ楽しそうで今の子は健全だと思いながら眺めていた。

「楽しそうでしょ。彼らそこにできた大学の子たちらしいですよ」店長がビールを片手にそう言う。

この店も、この町も、少しずつ変わっていくんだなあと思ってしまう。

「俺の席、取っといてくれてありがとな」と、言うつもりもなかった台詞が口から出て、気恥ずかしさはビールで流し込んだ。

※この物語はフィクションです

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6月14日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】 

暑くない、まだ夏じゃないから。

梅雨ではないらしい。まだ少し早いらしい。

機嫌が悪いのは君のせいじゃなくて、主に低気圧のせいだ。

君に当たり散らしたのは僕のせいだし、君がそれを悔やんだら僕の罪を意識させるためなんだと思うまでだ。

君は気づいていないだろうけど、君が悔やむこと全部、僕への非難だと思ってるんだよ。

君が悔やんだら、それ以下の僕はもっと悔やまないといけないじゃ無いか。

こうも生きづらいと僕のための世界じゃないみたいだ。

そんなこと、ずっと前から分かってたんだけど、確認すればするほど僕の首が絞まっていくんだ。

暑いのが苦手なのは、僕がこの世界に向いてないから。

僕の首を絞めるのは、真綿のような初夏。

※この物語はフィクションです

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6月13日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】 

夏みかんの白いところみたいに、嫌いな自分を集めて、ゴミ箱に捨ててしまえたら良いのに。

めんどくさい性格とか、言動とか、過去とか、まとめてゴミ箱にポイしてしまいたい。

こんがらがってきたもの全部捨てて、自由に一人寂しくなりたい。

本当は一人になんてなりたくなくて、ほんの少し誰かがいればそれでいい。

みんなに好かれるのも疲れるけど、嫌いな人にさえも嫌われたくない気持ちでいっぱいなんだ。

人生イージーモードの僕には、周りの視線が痛すぎてきっとどうやっても生きづらい。

恥ずかしいほど何もできないのに、なんだか上手くいくのがもどかしい。

なんだか涙が出てきたよ。

この夏みかん、もうぐにゅぐにゅに柔らかいんだ。

食べられるところなんてないから、捨てるしかないじゃん。

※この物語はフィクションです

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6月12日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】 

気温が上がるにつれて、僕の気分は低く定まっていく。

明るさを過度に増した昼間も、生ぬるい風しか感じられない夜中も、気分を低下させる原因にしかならない。

暑いのが苦手になったのは、いつからのことだろうか。昔はそうでも無かった気がする。

そこまで考えたところで思い当たった彼の存在を、僕は無視しようとしてもできないのだ。

いつもクラスの端で本を読む彼と、僕は友達でいたかったから。

彼の嫌いなものを嫌って、彼の好きなものを好くようにして、夏の暑さが嫌いになって、静かな教室が好きになった。

彼の好きな人は自分の芯がしっかりした人で、彼の嫌いな人は嘘をつく人。

彼は僕の気持ちの嘘を見抜いたけど、彼が離れた頃にはどうしようもなく嘘が本当になった後だった。

夏が好きだった僕は、もういない。

人を騙そうとした証拠だけが、僕の気持ちを重くしているのだと、思い出してしまった。

※この物語はフィクションです

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6月11日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】 

輝きって一瞬だ。

すぐに消えてなくなっちゃう。

楽しかったのも嬉しかったのも、感動したのも綺麗だと思ったのも本当にすぐに消えてしまった。

見えないものはないって言う人がいる。

消えてしまうものは無いのと同じって言う人がいる。

それでも私は、それがあったことを覚えている。

忘れてしまったとしても、その時間が無かったわけじゃない。

見えなくても、消えてしまっても、その感情に出会う前の私とは違う。

そんな風に感情を証明する私が存在することで、今の世界が少しだけ変わってたら良いなと思う。

世界が私を証明してくれてるって信じていたいから。

※この物語はフィクションです

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6月10日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】 

「世界、終わっちゃうんだってさ」君はそう言いながらインデペンデンス・デイの録画を途中から流す。

「なんで今それ見るんだよ」僕もそう言いながら、今しか見るタイミングもないだろうと思っている。

地球に侵攻してきた宇宙人の攻撃によって、都市は滅亡してしまった後のシーンだ。

核は使うか使わないか、と相談しているシーンで、「使っちゃったねー、核」と君はつぶやく。

僕はそれを無視して見ている。

宇宙人が拳銃で撃ち殺されるシーンを見ながら、「あんなんで死ぬ宇宙人だったら良かったよね」と君はつぶやく。

僕はずっと黙って見ていた。

結婚式のシーンで、手を握った彼らを見ながら、僕らも手を握った。

瞬間、電気が消えて、テレビも消えて、僕らは終わりがそこまで来ていることを知った。

キスをしようにも防護服が邪魔で、プラスチック同士がコツンと当たる音が僕らの最後だった。

※この物語はフィクションです

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6月9日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】 

目が一瞬チカチカしたように感じた。

それは、一瞬で終わって、勘違いだと看做されて、何にもならなかった。

目の前で瞬いた閃光は、私の記憶に留まることは無かった。

誰のための光だったのか、何のための輝きだったのか。

私は思考さえしなかったので、喜ぶことも悲しむこともできない。

数日後、友人が言うには、天の川銀河という遠く離れた星々のうち一つが死んだそうだ。

私の視界を揺らした一瞬の光は、それでも思い出されることはない。

そこにどんな命があろうと、どんな物語があろうと、そこで誰かが守ろうとした何かがあったとしても、知らないのだ。

それに感情を持つことの方が、卑怯にさえ思えてくる。

彼の話す太陽という星の爆発は、私が授業に遅刻しないこと以上に大事なことなのであろうかと悩むくらいだ。

※この物語はフィクションです

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6月8日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】 

空を見ていたら、携帯が鳴りました。

それは、休んでいた僕の取れなかったノートの写真で、ありがたいなあと思いました。

海を見ていたら、携帯が鳴りました。

それは、落ち込んでいた僕を心配するようなメールの通知で、なんだか泣きそうになってしまいました。

自分一人がいなくなっても何も変わらないと、そう考えることは山ほどあります。

けれど、いなくなっても変わらないはずの自分は、たくさんの人に支えられて生きているのでした。

普段なら陳腐に感じる言葉が、自分で思い至ってしまうこともあると気づくのです。

たくさんの人が支えてくれる自分が、誰かを支えることができているかは分かりません。

それなら、誰かを支えられるように精一杯生きないとと思いました。

空も。海も、僕の居場所じゃないと知らせてくれる人たちに、感謝しないといけないと思いました。

※この物語はフィクションです

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6月7日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

したいことが見つからなくて、ただ僕は季節を過ごす。

わずかに残るものは誰かの何かなどではなく、ただ趣味に費やそうとしていた先々月の生活費。

奇跡のようなものとは無縁で、それでも僕はそこにいる。

嫌いなものを挙げるとしたら、マネキンと声の大きい人、あと強いて言うなら生きることだ。

死ぬのが嫌だから生きるなんて言葉が嫌いで、まさしくその通りの自分が嫌いだと思う自分が嫌だ。

迷路のような悩みはないが、ただ平地のようなだだっ広い無ならある。

何のために生きるのか。

そんな悩みが生まれるほど、若くない年になってしまったのかもしれない。

車窓から、入道雲を見ていた。

夏が僕を、拐いに来たようだ。

※この物語はフィクションです

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6月6日 今日のエモい情景

【今日のエモい情景】

ズタズタになるまで引き裂いた記念写真を、生ゴミに混ぜた。

いっそあなたが死んでしまっていたならば、こんなやりきれない気持ちも美しくできるのかもしれない。

そうだ。思ってしまったその瞬間、あなたは既に死んだのだ。

私の中のあなたは、今この瞬間、私が殺してしまった。

あなたは遺書など残さずに死んだから、私が勝手に弔いましょう。

お通夜のような夜はとっくにもう越えたから、好きだった音楽を聴きながら、あなたとの思い出を紐解きましょう。

あなたが不慮の事故なんかであんなにあっさり死んでいなければ、楽しい日々は続いていたはずなのに。

でも、あなたが見てくれてるって分かるから、一人でも生きていける気がするよ。

想像の空に、突き抜けるような青を描いた。

その先のあなたまで、どうか届きますように。

※この物語はフィクションです

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